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飼い葉桶の救い主(ルカ2章1~7節)

「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」(ルカ2章6、7節)。「飼い葉桶」に生まれた子供、救い主は寝かされていた、ということです。この「飼い葉桶」というところから、イエス様がお生まれになったのは、馬小屋、あるいは家畜小屋であっただろうと言われます。家畜小屋というのは、きれいなところではありません。救い主が、ユダヤ人の王が生まれるのにふさわしいとは思えないところです。しかし、そこで救い主はお生まれになりました。
この「家畜小屋」、「飼い葉桶」とは、私たちのこと、私たちの心、私たちの人生のように思います。そして、私たちの世界、世の中です。そこは罪や悪がはびこっている、支配しているところです。でも私たちはそれとは違って、正しく生きている、罪のない生き方をしている・・・。いいえ、そのように言うことはできないと思います。私たちは良いことや正しいことは知っているかもしれない。でも、そのように生きられないでいる。それが私たちの罪の性質であり、罪の現実です。しかし、そういう世のただ中に、そういう私たちのただ中に、まるでこの家畜小屋のような、飼い葉桶のようなそこに救い主は来てくださったのです。私たちがこの方を受け入れ、この方と共に歩むとき、罪や悪から守られ、神様の願っておられる愛と義に生きる者とされるのです。
飼い葉桶の中にお生まれになった方。小さなものとしてお生まれになった方。そして、小さなものとして生き、歩まれた方。神様の愛を求めて生きよう、神様の義を求めて生きようとしても、私たちは世の中では小さな存在でしかなく、何の力も影響力もない。そう思うかもしれません。しかし、考えてみますと、イエス様がこの世にお生まれになって、おいでになって二千年、イエス様の福音は絶えることなく、ずっと全世界の人々に伝えられ続けています。イエス様に出会って、生きる力をいただいた人たちはどれだけいるでしょうか?私たちの存在や私たちの行なっていることは小さなことかもしれませんが、神様の目には尊い存在であり、神様の目には尊い働きなのです。そのことをおぼえて、私たちは救い主がおいでになったこと、この方を信じて、この方と共に生きることこそが本当の幸いな人生であることを宣べ伝えてまいりましょう。

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