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【巻頭言】2020年8月9日 キリストに対する畏れをもって(エフェソ5章21~33節)

エフェソの信徒への手紙5章21節以下の「妻と夫」に対する勧めでは、妻は夫に仕えるように、夫は妻を愛するように、と異なった言葉が使われていましたが、言われていることの内実、中身は21節で言われていたように、「キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい」ということです。また、現代的にこの箇所を理解していくならば、妻に対して、夫に対してのそれぞれの勧めを夫にも、妻にも当てはめて理解してもよいかもしれません。例えば、夫は妻のことを命をかけて愛するように、と言われていましたが、妻も夫のことを命をかけて愛するように、というメッセージとして聴くことができると思います。

この21節の中で最も大事なことは、「キリストに対する畏れをもって」ということです。「畏れ」という言葉、畏れ敬うとか、尊い、という意味です。キリストを畏れ敬う、尊ぶ。その心を持って、互いに仕え合うのです。畏れということを考えますと、私たちの生きている世の中は、社会はどうでしょうか?神さまを畏れない。そればかりか、人間を、お互いを畏れない。その人の存在とか、命に対する畏れ、尊厳というものが希薄ではないでしょうか。「キリストに対する畏れをもって」。私たちは神さまを畏れ、互いの命、存在を畏れる。畏れを持って愛する、仕える。このことに努めていきたいと思います。

そして、その出発点は神さまが私たち一人一人を、畏れを持って関わってくださっているということです。神さまが人間を畏れるというのは、言葉の矛盾のように思える、おかしな言い方のようにも思えますが、神さまこそは私たち一人一人を尊い存在、尊い命としてくださっている方なのです。そして、そのことをお示しになるために、神さまのみ子であるイエス様をお送りくださり、ご自分の命を与えることによって(25節)、私たちに仕えてくださり、愛してくださいました。私たちは、このことをしっかりと自分の心に刻みつけて、その応答として私たちも畏れを持って、神さまのために仕え、愛する、お互いのために仕え合い、愛し合うことに努めてまいりましょう。

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