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【週報巻頭言】2020年12月20日 「宣べ伝える人」とは誰のことか(ローマ10章14、15節)

ローマの信徒への手紙10章14、15節には「宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう」とありました。この「宣べ伝える人」とは誰のことでしょうか?今、カンボジア、インドネシア、シンガポール、ルワンダに宣教に行かれている先生方のことでしょうか?もちろん、そうですが、私は「宣べ伝える人」というのは、福音を聴いて信じている人たちすべてのことであると思います。このように言いますと、「私は福音を信じていますが、イエスさまを信じていますが、宣べ伝える人にはなれません。それは無理です」という声が聞こえてきそうです。私もそのように言ってしまいそうな一人です。

そういう私はいつもろばの子の話に励まされます。イエスさまがろばの子を用いられたという聖書の箇所です。イエスさまはご自分の弟子たちにこのようなことを言われました。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい」(ルカ19章30、31節)。

イエスさまが用いられたろばの子について、「まだだれも乗ったことのない子ろば」とあります。イエスさまは何の経験もないろばの子をご自分のために用いようとされた、ということです。このろばの子というのは、私たちのことではないでしょうか?何の経験もない。自分ではあれができない、これもない、と言わざるを得ないような私たち。しかし、そういう私たちに主はこう言われるのです。「主がお入り用なのです」。

「遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう」とも書かれていました。これはつまり、主が遣わされるなら、宣べ伝えることができるということです。主が遣わされ、主が用いてくださるなら、その人は宣べ伝えることができるのです。いえいえ、私は口下手です。それほど聖書の知識もありません。立派な生き方をしているわけでもありません・・・。そう考えてしまいそうですが、福音を宣べ伝えること、これは人間の力ではありません。私たちを遣わされる、用いてくださる主の力によって可能となるのです。

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