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【週報巻頭言】2021年3月7日 一つの体として生きる(マルコ10章1~12節)

しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。(マルコ10章6~9節)

これは教会で行う結婚式の中で司式者によって、よく読まれる聖書の言葉です。ここから知らされることは、結婚というのは、人格と人格の出会い、そして、人格と人格が共に生きるということです。ここに「二人は一体となる」とありました。「一体」という言葉は別の訳では「一つの身」(岩波訳)、「一つの肉」(田川訳)とも訳されます。マルコ10章1~12節の箇所では、ファリサイ派の人々の離縁についての問いから話が始まっているので、イエスさまは結婚ということを聖書からお示しになりましたが、結婚ということだけでなく、人と人が共に生きるということについても、ここから聴くことができます。

教会について考えますと、教会について、聖書は「教会はキリストの体」(エフェソ1章23節)、「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分」(一コリント12章27節)と書いています。そして、「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」。これは結婚のことについて言われている言葉ですが、教会についてもいうことができます。神さまは私たちを出会わせてくださいました。私たちは互いに人間的な弱さを抱えた者、罪人です。そういう私たちですが、自分が神さまに赦されて生かされているように、その赦しの恵みを受け止めながら、互いに赦し、赦され、生きるのです。

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