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【週報巻頭言】2021年10月10日 日々、新たにされて(一コリント1章18~25節)

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(一コリント1章18節)。イエスさまの十字架の救いという話、それは世の中の考えからすると、愚かな話のように思えるかもしれません。そんなことを聞いても、信じても、何もならない、と思うかもしれません。けれども、ここには「わたしたち救われる者には神の力」とあります。

私は高校生の時にイエスさまを信じました。牧師の家庭に生まれましたので、生まれたときから教会に行っていたわけですが、幼い時から、聖書の話を聞いて育ちました。イエスさまを信じたい、という思いも持っていました。思春期の時代、皆さんもそうだったと思いますが、世の中や、大人を厳しく見るようになってきました。教会に来ていても、クリスチャンといっても、本当に真実に、立派に生きているかどうか・・・。人に対して、厳しく裁きの目で見たりするようになりました。しかし、ある時、気づかされたこと、それは、そうやって、人を裁いているあなた自身はどうなのか、という問いかけでした。自分のことを棚に上げて、人のことを裁いている。これこそが罪なのだ。神さまの前には、すべての人は、この私も、みんな罪人なのだ、ということが分かるようになりました。おそらく、その心の中の問いかけというのは、神さまからの問いかけだったと思います。神さまは、私に対して、自分自身はどうなのか、ということを気づかせてくださったのだ、と思います。イエスさまがそういう私のために、そういうすべての人のために、十字架にかかり、罪を赦し、新しい人生へと導いてくださった。そのことを心からアーメン、そうです、と言うことができるようになりました。そして、イエス・キリストを私の救い主と信じ受け入れました。

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」。私は神さまの力、十字架の救いによって日々、新しく生きる者とされていることを今は心から喜びとしています。クリスチャンというのは、完全な人というのではありません。不完全な、罪人ですが、完全に正しい方、愛の方である神さまによって、日々、新たにされていく、イエスさまに似た者とされていく者です。このことを希望として歩んでまいりましょう。

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