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【週報巻頭言】2023年4月23日 「神の子」と告白させていただく恵み(マルコ15章33~41節)

イエスさまが十字架につけられた時、百人隊長のことがこのように書かれていました。「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『本当に、この人は神の子だった』と言った」(マルコ15章39節)。百人隊長は、ローマの兵隊です。イエスさまを十字架という刑罰に直接処した側の人間です。そういう人がイエスさまの死を目の前で見て、こう言ったのです。「本当に、この人は神の子だった」。考えてみると、不思議なことです。どうしてこのようなことが言えたのでしょうか?
「百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた」とあります。百人隊長は、イエスさまの方を向いていた、というのです。イエスさまの方を向いて、イエスさまを見ていたのです。しかも、そばに立っていた、というのです。「イエスがこのように息を引き取られたのを見て」とあります。やはり、イエスさまを見ていた。それもイエスさまの最期の姿を見ていた。そして、彼はこう言ったのです。「本当に、この人は神の子だった」。
ローマの百人隊長は、イエスさまについて、それまでは神でも何でもない、ユダヤ人たちによって告発され、ついには十字架刑に処せられてしまったような哀れな犯罪人としか見ていなかったかもしれません。それが、このイエスという人の最期を見た。この百人隊長にとっては、たった半日のことだったかもしれませんが、この方を前にして、神の子とはどういう方なのか、神さまとはどういう方なのか、そのことを知らされたのです。そして、彼は「本当に、この人は神の子だった」と告白したのです。
百人隊長の信仰告白と言ってもよいこの言葉に先だって、聖書は、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(同38節)と神殿での出来事を書いていました。この神殿の幕が裂かれた意味は、誰でも、いつでも、神さまにお会いすることができるようになったということ。神さまご自身が私たちのところにおいでになって出会ってくださることです。そのことが、この百人隊長に起こったのです。ユダヤ人でもない、大祭司でもない。異邦人であった人がイエスさまを神の子と告白することができた。告白させていただけたのです。神殿の幕が裂かれたように、神さまに対して頑なだった心の幕が裂かれて、この方こそは神の子と告白させていただけたのです。そして、今、私たちもこの方を神さまであると告白することができた、告白させていただけた。この恵みを感謝したいと思います。

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