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【週報巻頭言】2022年11月6日 分別ある者として(一コリント10章14~22節)

わたしはあなたがたを分別ある者と考えて話します。わたしの言うことを自分で判断しなさい。(一コリント10章15節)

パウロはコリントの教会の人たちを「わたしの愛する人たち」(一コリント10章14節)と呼びました。コリントの教会の人たちに愛をもって語りかけた手紙、それがこのコリントの信徒への手紙でした。さらにコリントの教会の人たちのことを「わたしはあなたがたを分別ある者と考えて話します」と言っています。そして、「わたしの言うことを自分で判断しなさい」とも言っています。自分で判断するように、というのです。

カルト宗教の問題が世間を騒がせていますが、カルトとは何か、というと、このパウロの言葉とは逆のことです。自分で判断させない、自分で考えないようにしてしまうことです。強い言葉や強い態度で押さえつけ、また恐怖心を与えたりして、人に自由に考えさせること、判断させることをできなくしてしまう。そのようにして、無理やり信じ込ませてしまう。それがカルトです。

しかし、パウロは、コリントの教会の人たちのことを、分別ある人たちと言いました。一人一人を尊重した態度です。そして、自分が言うことを何も考えないで、無批判に受け入れなさい!とは言わず、聞いたことを自分で判断してください、と言っています。このように、キリスト教信仰というのは、自分で判断して信じるものです。そういうことだとなかなか人は信じないのではないか?と言われる方があるかもしれませんが、私は福音そのものの力を信じています。人間が人為的に強制したりして信じさせるのではない。福音そのものがその人の心に触れて、信仰の目を開かせてくださると信じています。ですから、私たちは生きて働かれる聖霊、神さまの働きによって、福音を聞いた方が、イエスさまは私の救い主です、と告白する日が来るように祈り続けるのです。

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