【週報巻頭言】2022年4月10日 あなたがたはパン種の入っていない者(一コリント5章1~13節)
いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。(一コリント5章7節)
パン種、つまり、あなたがたの罪を取り除きなさい、と言われています。しかし、それに続いて、「現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです」とも書かれています。パン種を取り除きなさい、と言っておきながら、あなたがたはパン種の入っていない者だ、と言われているのは不思議です。その理由は、次の言葉から分かります。「キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです」。イエスさまがあなたがたの中のパン種、つまり、罪を取り除くために過越の小羊として屠られた、これは十字架にかかってくださった、ということです。だから、あなたがたはイエスさまによって、罪を取り除かれた者として生きていきなさい、と言われているのです。
私たちはイエスさまを信じることによって、自由にされました。その自由とは私たちを支配していた、私たちを捕らえていた罪からの自由ということです。私たちは、罪から自由にされて、イエスさまと共に、神さまが示しておられる善いことのために生きることができるようになったのです。この「イエスさまと共に」ということが大事です。自分ではなかなか善いことのために、愛のために、平和のために生きようとしても、自分の中の弱さによって、すぐに罪に負けてしまったり、悪い思いを抱いてしまったりする私たちですが、そういう私たちといつもイエスさまは共におられるのです。ガラテヤの信徒への手紙2章20節にはイエスさまを信じた者についてこのようなことが書かれています。
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。(ガラテヤ2章20節)
「キリストがわたしの内に生きておられる」。だから、安心して、イエスさまに助けを求めましょう。支えていただきましょう。イエスさまが私たちを導いてくださいます。祈りつつ歩みましょう。
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