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【礼拝説教】2022年5月29日「主の名によって歩もう」

聖書―詩編20編1~10節
(はじめに)
 詩編は祈りの言葉集とも言われます。確かに、この詩編を読むことで、多くの祈りに触れることができますし、神さまにどのように祈ったらよいのかを教えられます。今回お読みしました詩編は第20編です。1節に「指揮者によって。賛歌。ダビデの詩」とあります。イスラエルの王ダビデの書いた詩編、あるいはダビデについての詩編ということです。この詩編の言葉に耳を傾けることで、祈りへと導かれるならば幸いです。

(聖書から)
 2、3節をお読みします。
20:2 苦難の日に主があなたに答え/ヤコブの神の御名があなたを高く上げ
20:3 聖所から助けを遣わし/シオンからあなたを支えてくださるように。
 「苦難の日」とあります。「悩みの日」(口語訳)とも訳されます。私たちは苦難の中にある時、悩みの中にある時、祈りに導かれます。物事が順調な時には祈りを忘れるようなことがありますが、そういう意味で苦難の日、悩みの日というのは、神さまとの大切な出会いの時なのかもしれません。ところで、2節には「苦難の日に主があなたに答え」とあります。ここに出てくる「あなた」というのは、ダビデのことです。王であるダビデが苦難にある時、主があなたに答えてくださるように、というのです。
 「高く上げ」、「助けを遣わし」、「支えてくださる」とありますが、それは「ヤコブの神の御名」によることだというのです。ここにヤコブとありますが、これはイスラエルのことです。旧約聖書に、ヤコブという人物が出てきます。イスラエルの民にとって信仰の父と言われたアブラハム、そのアブラハムの子がイサク、イサクの子がヤコブです。ヤコブはある時、神さまの使いと格闘して、このように言われます。「お前の名はヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ」(創世記32章29節)。イスラエルとは、神さまと格闘して勝利した、という意味です。そして、この格闘というのは、祈りの格闘とも言われます。ヤコブが必死で神さまと格闘した、祈ったように、私たちも神さまに祈る者でありたいと思います。
 今回の聖書箇所はお読みして分かるように、「王のための祈り」という内容です。4、5節をご覧ください。王は神さまにささげるための供え物、いけにえを神殿に持ってきます。王が神さまを礼拝している様子です。礼拝とはささげることです。自分をささげることです(ローマ12章1節)。そして、祭司たちは王のために祈ります。
20:4 あなたの供え物をことごとく心に留め/あなたのささげるいけにえを快く受け入れ〔セラ
20:5 あなたの心の願いをかなえ/あなたの計らいを実現させてくださるように。
 ここに「あなたの心の願いをかなえ/あなたの計らいを実現させてくださるように」とあります。王の心の願いを叶えるように、王の計らいを実現させてくださるように、ということです。ここで一つ、気になることがあります。王、国の指導者です。その人の心の願いというものが、その人の計らい、計画というものが、果たして、神さまのみ心に適ったものなのだろうか?ということです。そして、もし王の願いごとや計画が神さまのみ心に適うものではないなら、そのようなことを祈ってもよいのだろうか?そういう疑問も出てきます。
 私たちが祈ることも、こんなことを祈ってもよいのだろうか?と戸惑うようなことがあるかもしれません。これは自分勝手な祈りではないだろうか?こんな祈りはみ心に適わないし、聴かれないのではないか?そんなことを思ってしまい、祈ることさえためらってしまう。そういうことがあるかもしれません。私自身は、これは祈ってもよいことなのだろうか?と戸惑う時、一つの聖書の言葉を振り返ります。フィリピの信徒への手紙4章6、7節です。
4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
 まず、思い煩うことをやめるように、と言われています。そして、「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」と続いています。私たちの求めているもの、それは人それぞれです。神さまのみ心に適うことであるかは分かりません。でも、そのことを神さまに打ち明けなさい、とあります。神さまに打ち明けて、祈ってみるのです。
 その後の「そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」という言葉、神さまが私たちに本当に大事なことを教えてくださる、ということだと思うのです。だから、まずは何でも神さまに打ち明けて、祈ってみるのです。神さまが私たちに求めておられることは、私たちが正しい祈りをすること以上に、私たちが神さまに心を開くこと、信頼することではないでしょうか?そして、神さまとの信頼関係、交わりの中で、私たちの祈りが変えられていく、新しくされていく。そういうこともあるのではないでしょうか。
 詩編の言葉に戻ります。6節以下をお読みします。
20:6 我らがあなたの勝利に喜びの声をあげ/我らの神の御名によって/旗を掲げることができるように。主が、あなたの求めるところを/すべて実現させてくださるように。
20:7 今、わたしは知った/主は油注がれた方に勝利を授け/聖なる天から彼に答えて/右の御手による救いの力を示されることを。
 「我らの神の御名によって」とあります。私たちが神さまに祈る時も、「御名によって」と祈ります。6節には、王の勝利について言われていますが、それは神さまのみ名による勝利ということが言われています。7節にも、神さまのみ手による救いの力ということが言われています。つまり、王自身の力、人間の力による勝利、救いということではなく、神さまの力による勝利、救いがありますように、という祈りです。
 ところで、勝利ということですが、王の勝利とか、国の勝利というと、私たちは戦争のことを連想します。今も戦争状態にある国々があり、多くの人たちの命が失われ、脅かされるような様子を知ります。私たちは平和が来ることを心から祈りますが、私たちはこのような聖書の箇所をどのように読んだらよいのでしょうか?
 続く8節以下をお読みします。
20:8 戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが/我らは、我らの神、主の御名を唱える。
20:9 彼らは力を失って倒れるが/我らは力に満ちて立ち上がる。
 8節のこの言葉は大変印象深い言葉です。「戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが/我らは、我らの神、主の御名を唱える」。戦車や馬というのは、武器や武具を意味しています。「戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが」とあります。これは闘うための武器や武具を否定的に言い表しているように思えます。一方、それに続いて、「我らは、我らの神、主の御名を唱える」とあります。武器や武具を誇って、それに頼って、戦いに挑む者たち。しかし、私たちがすること、それは主のみ名を唱えること、というのです。主のみ名を唱える。それは主に祈ること、主を賛美すること、主を礼拝することではないでしょうか。
 先ほど、何でも祈ってもよい、という話をしました。しかし、本当に大事なことは神さまが教えてくださる、とも話しました。私たちがすること、それは戦車や馬で闘うことではありません。私たちがすることは主を礼拝すること、主のみ心(神さまの愛と義)を求めて生きることです。
 私は9節の「彼らは力を失って倒れる」という言葉から、イエス様の言葉を思い起こします。イエス様は弟子たちとゲツセマネで祈りをした直後、捕らえられてしまうことになりますが、その時、イエス様はこのように言われました。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26章52節)。剣を取る者は剣で滅びる。今回の詩編の言葉で言えば、「力を失って倒れる」のです。剣を取る者、自分の力に頼る者は倒れるのです。しかし、主のみ名を求めて、主のみ心を求めて生きるなら、「力に満ちて立ち上が」らされる。主のみ名によって、主の力によって立ち上がらされるのではないでしょうか。

(むすび)
 今回の詩編の最後の言葉です。
20:10 主よ、王に勝利を与え/呼び求める我らに答えてください。
 「主よ、王に勝利を与え」とありました。実はこの「勝利」という言葉は「救い」とも訳されます。別の訳では「主よ、王を救ってください」(聖書協会共同訳)となっています。神さまのみ心に適った、神さまの目から見た本当の勝利、神さまの救い、このことを祈り求める私たちでありたいと思います。

祈り
恵み深い主なる神さま
 私たちは自分が何を祈ったらよいのか、分からなくなることがありますが、主は私たちに「主の祈り」で「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」(マタイ6章11節)と教えてくださいました。私は自分の必要を求めて、祈ります。しかし、この祈りについて、主は「わたしたちに必要な糧を・・・」と言われました。「わたしたち」です。自分だけではありません。他者の必要のためにも祈る者としてください。
また主は、「御名が崇められること」(マタイ6章9節)、「御国が来ること」、「御心が行われること」(マタイ6章10節)を祈るようにも教えられました。私たちの求めることだけでなく、神さまご自身が求めておられることを祈る者とさせてください。
 民は王のために「主よ、王に勝利を与え」てください(10節)、と祈りました。その勝利とは神さまの勝利です。神さまのみ心が行われる勝利です。神さまのみ心が実現しますように。このことを祈りつつ、私たちも主のみ心を求めて生きる者でありますように。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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