【礼拝説教】2022年9月25日「逃れる道を備えてくださる神」
聖書―コリントの信徒への手紙一10章1~13節
(はじめに)
コリントの信徒への手紙一10章の前半の箇所をお読みしました。この箇所の前に書かれていた言葉、先週お読みしました9章27節には、このようなことが書かれていました。
9:27 むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。それは、他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないためです。
ここに、「失格者」とあります。「他の人々に宣教しておきながら、自分の方が失格者になってしまわないため」とあります。宣教する。イエス・キリストの福音を人々に宣べ伝える。そういう働きをしている自分が失格者になってしまうようなことがある・・・。私はこの聖書の言葉を読んで、そんなことがあるのだろうか?と不思議に思いました。けれども、考えてみますと、宣教しておきながら、あるいはイエスさまの福音の働きをしておきながら、失格者になってしまう。そういうことはあり得ると思いました。
先週の説教では、同じ9章27節に書かれています「自分の体を打ちたたいて服従させます」、このことが忘れ去られているとき、おろそかにされているとき、それが、パウロが言っている失格者の状態であると私は言いました。自分ではなく、他の人を打ちたたいてしまっている。自分の罪の問題をおざなりにして、人を裁いたり、見下したりしている。どんなに教会の働きに熱心であっても、自分の罪に向き合うことをしない。主の十字架の赦しを受け止めて日々、悔い改めて生きることをしない。私自身、そういうことがしばしばあることに気づかされます。
(聖書から)
今日の聖書箇所、10章1~4節をお読みします。
10:1 兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、10:2 皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼(バプテスマ)を授けられ、10:3 皆、同じ霊的な食物を食べ、10:4 皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。
パウロは、コリントの教会の信徒たちに語ります。「わたしたちの先祖」というのは、出エジプトの時のイスラエルの民のことを言っています。彼らは、私たちと同じ恵みを神さまからいただいた、と言っています。それはどのような恵みであるかというと、一つはバプテスマです。「皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼(バプテスマ)を授けられ」た。バプテスマは神さまを信じたことを表す象徴的な行為です。ここには、雲の中、海の中とありましたが、水の中に体を浸すことで、罪に支配された古い自分が死んで、キリストに支配された新しい自分が生まれたことを表します。
そして、もう一つが主の晩餐です。「皆、同じ霊的な食物を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました」。「霊的な食物」というのが、主の晩餐の時のパンのことです。私たちはイエスさまが私たちのために十字架にかかり、その肉が裂かれた。その象徴として、主の晩餐でパンをいただきます。「霊的な飲み物」というのが、主の晩餐の時の杯のことです。イエスさまが私たちのために十字架にかかり、血を流された。その象徴として、主の晩餐で杯をいただきます。イエスさまの十字架の救いにより、私たちは救われたことを記念する、おぼえます。
パウロはこのように語り、コリントの教会の信徒であるあなたがたと同じように、出エジプトのイスラエルの民も、バプテスマと主の晩餐、この大切な礼典にあずかった人たちなのだ、と言うのです。コリントの教会の信徒たちはこれを聞いて、感激したことでしょう。旧約の時代のあの人たちも私たちと同じ恵みを神さまからいただいたのだ。しかし、すぐ後には、このようなことが語られています。
10:5 しかし、彼らの大部分は神の御心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまいました。10:6 これらの出来事は、わたしたちを戒める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。
この話は、コリントの教会の信徒たちにとっては、ショックだったと思います。バプテスマと主の晩餐にあずかったイスラエルの民。しかし、彼らの大部分は神さまのみ心に適わず、荒れ野で滅ぼされてしまった、というのです。そして、このまことに残念な、悲しい出来事は、私たちを戒める前例、警告(聖書協会共同訳)として起こった、というのです。
5節の後半から10節までには、イスラエルの民がせっかく神さまの恵みをいただいたのに、それを踏みにじり、悪を貪ってしまった、罪に陥ってしまった具体的な事例が語られています。偶像礼拝、淫らなこと、キリストを試みること、不平を言うことが挙げられています。そして、11節には、6節の言葉の繰り返しが語られています。
10:11 これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです。
聖書が教える救いは、イエス・キリストの十字架の救いを信じるということです。救われるために、神さまの律法、掟を守らなければならないか、というと、いいえ、キリストの救いを信じるだけでよいのです。使徒パウロは熱心に神さまの律法を守ることに努めました。しかし、人間には、律法を完全に守ることはできないことを知りました。つまり、私たち人間は自分で自分を救うことはできないのです。私たちを罪から救うことができるのは、神さまの力、愛だけです。そのために、神さまはご自分のみ子であるイエスさまを私たちのところに送ってくださいました。
しかし、私たちは救われたから、もう何もしなくてもよい。好き勝手に生きたらよい。そういうことではないのです。私たちを救ってくださったイエスさまの後に従っていく。イエスさまの十字架の歩みに従っていくのです。それが救われた者としての生き方、聖書が教える新しい生き方です。ところが、今日の聖書箇所で示されていたことは、イスラエルの民の大部分の人たちは救われたのに、救われた者として、新しい生き方をしなかった。神さまの救いを無視してしまったことが言われているのです。そこでパウロは、あなたがたはそのようなことがないように、と警告しました。
10:12 だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。
ここに「立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい」と語られていました。先週の聖書の言葉で言えば、「自分の体を打ちたたいて服従させ」るということです。いつも、神さまの前に立ち、神さまの救いをおぼえ、その救いに応えて歩もうと決心するのです。この毎週の礼拝もそういう大切な場、時であると思います。主にある兄弟姉妹と一緒に神さまを礼拝し、今日から始まる新しい週も、神さまと共に歩んでいくことができるように、神さまのみ心を求めていくことができるように、決心していくのです。
(むすび)
パウロの警告の言葉、それが今日お読みしました聖書の言葉です。そして、今日の最後の言葉、13節をお読みします。
10:13 あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
もしかすると、この聖書の言葉を読んで、この言葉はどこかで聞いたことがある、と思われた方があるかもしれません。キリストを信じる人たちの間でも、よく読まれる聖書の言葉の一つです。多くの人たちがこの言葉に励ましを受け、慰めを受けたことでしょう。最近では、オリンピックに出場した水泳の選手がオリンピックに出場する直前に難病で苦しみ、その中でこの言葉に励まされた、という記事を読んだことがあります。
ところで、ここに書かれている「あなたがたを襲った試練」ということですが、この13節だけを読むならば、私たちが生きている中で起こってくる様々な苦難、苦しみということが考えられると思います。ある人にとっては、病気のことかもしれません。また愛する人を失う悲しみのことかもしれません。今回、10章の初めのところから読んでいきましたが、そこから示されることは、この「試練」というのは、あの出エジプトのイスラエルの民に遭った試練、それは試み、あるいは誘惑と言ったらよいでしょうか。彼らを神さまから引き離そうとする数々の試み、誘惑、そういったものから、神さまが守ってくださるということが語られていることが分かります。イエスさまは「主の祈り」の中で、「わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください」(マタイ6章13節)と祈るように教えられました。13節には、「神は真実な方です」とあり、神さまは「逃れる道をも備えていてくださ」るとありました。神さまは真実な方です。私たちはその真実な方である神さまに、人生の苦しみに耐えられるように逃れの道を備えてくださるように。そして、試み、誘惑から守られるように、と祈っていきましょう。真実な方である神さまの最善を信じていきましょう。
祈り
恵み深い主なる神さま
あなたは真実な方です。私たちは試練に遭うと、自分では耐えられないと思います。しかし、あなたは「耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださ」ると、聖書は語っています。私たちは真実な方である神さまを信頼して、人生の苦しみに耐えられるように逃れの道を備えてください。試み、誘惑から守ってください、と祈ります。どうぞ、導いてください、助けてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン
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