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【礼拝説教】2023年8月20日「主イエスはまことのぶどうの木」

2023年8月20日(日)(朝・夕)赤塚教会礼拝説教「主イエスはまことのぶどうの木」ヨハネによる福音書15章1~5節

聖書―ヨハネによる福音書15章1~5節
(はじめに)
 本日は、先に天に召された方々のご家族、ご友人の皆様をお迎えして、一緒に礼拝の時を持つことができますことを、心から感謝しています。
 今日の礼拝は、2019年以来、四年ぶりの召天者記念礼拝として行っています。この後で、召天者の方々のお名前を読み上げますので、ご家族、ご友人の方は、会堂の前にお進みになって、お花をささげてください。キリスト教の葬儀の時には、お花をささげますが、これは亡くなられた方に対するお別れ、また感謝の意味を込めて行うものですが、この召天者記念礼拝では、亡くなられた方々が、その生涯を神さまによって導かれ、天に召されたこと、天の神さまのところに行かれた、帰られた、ということの喜び、神さまへの感謝を込めて、行います。新約聖書・ヘブライ人への手紙11章13~16節には、このような言葉があります。
11:13 この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。11:14 このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。11:15 もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。11:16 ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。
 お読みしました聖書の言葉の中に、「天の故郷」とありました。天の国、天の神さまのところです。地上の生涯を完走され、今は、天の故郷におられることをおぼえたいと思います。

(聖書から)
 今日お読みしました聖書の言葉は、ヨハネによる福音書15章1節からです。イエスさまが、ご自分の弟子たちに語られた言葉が書かれています。1節をお読みします。
15:1 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。
 イエスさまは、ご自分のことを「わたしはまことのぶどうの木」と言われました。ぶどうの木。今日の説教題も、この言葉を使いました。「主イエスはまことのぶどうの木」。このことをイエスさまは繰り返し、語っておられます。5節にも「わたしはぶどうの木」とあります。ここで注意したいことは、イエスさまは、ご自分のことをぶどうの木に例えられたのですが、「わたしはまことのぶどうの木」と言われ、「まこと」という言葉を加えておられることです。
 「まこと」。それは真実とか、本当という意味です。キリスト教のお祈りは、最後に、「アーメン」という言葉を唱えます。この「アーメン」という言葉ですが、旧約聖書の言語であるヘブライ語で、真実です、本当です、という意味です。ですから、私たちは、祈る時、神さまに対して、真実の心から、本心から、神さまに祈りをささげます。
 「わたしはまことのぶどうの木」。イエスさまは、ご自分は、まことの、つまり、真実の、本当のぶどうの木と言われました。この言葉を加えて語られた、というのは、まことではない、真実ではない、本当ではない、偽の救い主、偽の神さまというものもあるからです。では、本物と偽物をどう見分けたらよいのでしょうか。皆さんの中には、よくご覧になっている方もあるかもしれませんが、あるテレビ番組では、家宝のようにして、先祖から代々受け継いできた大切なもの、壺だとか、掛け軸だとか、それがどれだけの価値があるのか、鑑定士の人たちに鑑定してもらう番組があります。鑑定士が真偽を見分けるコツは何か、というと、本物に親しむこと、本物をよく知ることだ、と言われます。イエスさまは、「わたしはまことのぶどうの木」とご自分のことを言われました。私たちも、まことの救い主、まことの神さまであるイエスさまご自身を、よく知ることが大事なことです。
 イエスさまは、天の神さまのことをお話しされました。「わたしの父は農夫である」。神さまは、農夫だと言われるのです。そして、それに続いて、2節の言葉が語られます。
15:2 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
 農夫である神さまは、実を結ばない枝を取り除かれる。一方、実を結ぶ枝は、豊かに実を結ぶように手入れをなさる、とあります。ここには、「ぶどうの木」に続いて、「枝」が出てきます。ぶどうの木は、イエスさま、農夫は、神さま、では、枝とは、何でしょうか?それについては、5節に書かれています。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(5節前半)。「あなたがたはその枝である」とあります。イエスさまは、弟子たちに、あなたがたは、その枝なのだ、と言われたのです。イエスさまは、ぶどうの木の幹であり、そこから、枝である栄養が、命が行きわたるというのです。
ところで、気になるのは、2節に「実を結ばない」とか、「実を結ぶ」ということが言われていました。実を結ぶというと、皆さんは、それぞれ、自分の人生において、実を結ぶ、ということを考えるかもしれません。また実を結ぶ、とは、人生において成功することであるとか、自分の願っていることが実現する、ということで考えるかもしれません。すると、自分の人生を振り返って、果たして、自分はどうだっただろうか?自分は人生の実を結ばせてきたのだろうか、と思われるかもしれません。
3節の言葉を読んでみます。
15:3 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。
 「わたしの話した言葉」。それは、イエスさまの言葉ということです。イエスさまが私たちに語られた言葉、その言葉を受け入れるならば、信じるならば、私たちは清くされる、というのです。先ほど、「手入れをなさる」という言葉が出てきました。この言葉は、直訳すると、「清くされる」と訳すことができる言葉です。私たちが、実を結ぶためにはどうしたらいいか、というと、イエスさまの言葉を聴いて受け入れることです。
実を結ぶ、ということ、先ほども言いましたように、人それぞれ、何をもって実を結ぶと言うのか、違うと思います。もしかすると、自分は実を結ぶような人生を生きてこなかった。ひたすら、反省ばかりだ、と言われる方があるかもしれません。また、先に天に召された方々の中には、苦労ばかりの人生だった、という方があるかもしれません。しかし、私たちは、この言葉を受け止めていきたいと思うのです。「わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている」。私たち誰もが、イエスさまの言葉によって、清くされる、実を結ばせていただける、と言われています。
 この後の4、5節には、このような言葉が語られています。
15:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
 ここに「わたしにつながっていなさい」とありました。イエスさまにつながる、ということです。イエスさまの言葉を聴いて受け入れる。それが、イエスさまにつながるということです。この「つながる」という言葉は、「留まる」とか、「住む」という言葉でも訳されます。そうしますと、「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」。このイエスさまの言葉は、「イエスさまは、私たちに、私の中に住んでいなさい、と言われ、イエスさまは、私もあなたがたの中に住んでいる、と言われた」という意味になります。
イエスさまが、私の中に住む。私が、イエスさまの中に住む。そのために私たちはどうしたらよいかというと、自分の心のドアを開くことです。イエスさまは、私たちの心のドアの前に立っておられます。けれども、イエスさまの方から、無理に私たちの心のドアをこじ開けるようなことはなさいません。心のドアを開くか、閉じるか、そのことは私たちに任されています。ですから、私たちが、自分で心のドアを開かなければ、イエスさまは、入って来ることはできないのです。イエスさまは、ある時、ザアカイという人にこう言われました。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(ルカ19章5節)。ザアカイは、ドアを開いて、イエスさまをお迎えしました。そして、イエスさまは、今、私たちにも言われます。「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」。イエスさまを信じるというのは、イエスさまを自分の心にお迎えすることです。そうするならば、イエスさまは、私たちの心に、私たちの人生に、お住まいになるのです。

(むすび)
 今日は、先に天に召された方々、神さまのもとに行かれた、帰られた方々をおぼえて、礼拝を行っています。この方々は、その心に、その人生に、イエスさまがお住まいになられるという恵みにあずかった人たちです。イエスさまと一緒に人生を歩まれた人たちです。イエスさまは、ご自分のことを「わたしはまことのぶどうの木」と言われましたが、まことの神さま、本当の、真実の神さまであるイエスさまと人生を一緒に歩まれたのです。ご家族の皆さまも、ぜひ、まことの神さまであるイエスさまをその心に、その人生にお迎えすることを心から願い、お勧めいたします。イエスさまと一緒に歩んでまいりましょう。

祈り
恵み深い主なる神さま
  今日は、召天者記念礼拝を行っています。
 先に天に召された一人一人の地上における人生に、主が関わり、一緒に歩んでくださいましたことを心から感謝します。そして今や、帰るべき天の故郷、天のみ国にあることを信じます。
 私たちも、その歩みを思い起こし、私たちにも関わり、一緒に歩んでくださる主の恵みを信じて、この地上を生きる者とさせてください。そして、私たちもやがて帰るべき天の故郷で、先に召された兄弟姉妹と顔と顔を合わせる日を待ち望みます。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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