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【礼拝説教】2023年4月16日「造り上げる言葉を語ろう」

2023年4月16日(日)(朝・夕)赤塚教会礼拝説教「造り上げる言葉を語ろう」コリントの信徒への手紙Ⅰ 14章1~19節

聖書―コリントの信徒への手紙一14章1~19節
(はじめに)
 お読みしましたコリントの信徒への手紙一14章は、このような言葉から始まっています。
14:1 愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。
 この箇所は、新共同訳聖書では、「異言と預言」という小見出し、テーマが付けられています。その冒頭に「愛を追い求めなさい」と書かれているのは、とても印象的です。
 前の章の13章は、「愛の章」と言われる聖書個所です。先月、この箇所については、お話ししましたが、この箇所の聖書の言葉について、イラストレーターのみなみななみさんという方が、比較的分かりやすい言葉で、その描かれた絵を背景に、このように書き表していました。

 愛は あきらめない
 愛は 相手を思いやる
 愛は うらやましがらない
 愛は じまんしない えらそうにしない
 失礼なことをしない
 自分のことばかり考えない
 怒ったり不機嫌になったりしない
 人がまちがっても 根にもたない
 悪いことに 流されない
 本当のことを 大切にする
 愛は 信じる
 いつだって 希望を見いだす
 最後まで 前に進んで行く
本当の愛は 絶対に なくならない 
          (コリント人への手紙第一13章4~8節によせて)
                                      『ヘブンズドロップス』(いのちのことば社)

 まさに聖書の言葉そのものですが、私たちの心に届く言葉で書かれています。私たちは、神さまからこのような愛を受けて生かされています。このような愛で愛されている私たちも神さまの愛に倣って歩んでいきたいと思います。

(聖書から)
 「愛を追い求めなさい」。この言葉に続いて、「霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい」と書かれています。この章で言われていることの結論は預言するための賜物を求めるように、ということです。
 コリントの教会では、信仰熱心な人たちの中に、あることを強調する人たちがいたようです。それが、異言です。私たちは異言という霊的な賜物を受けている。この異言を語ることが信仰的なのだ、霊的なのだ、と主張していたようです。新共同訳聖書の後ろの方には付録が付いています。「用語解説」という付録の中に、「異言」という項目がありますので、見ていただきますと、このような説明があります。
 「一般の人には理解しにくい信仰表白の言葉。コリントの信徒への手紙1の12章、14章によると、異言を語る能力は聖霊によって与えられる「霊的賜物」(カリスマ)の一つである。」
 異言は、聖霊、つまり、神さまの霊によって与えられる霊的な賜物とあります。その賜物を受けた人たちの中に、自分たちこそは、霊的だ、信仰的だ、と主張する人たちがいたのです。
 しかし、パウロは、このように語ります。
14:2 異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです。14:3 しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。14:4 異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。
パウロは、異言よりも、預言を評価しているようです。なぜなら、異言は誰にも分からない言葉だからです。一方、預言について、「預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます」、「預言する者は教会を造り上げます」と語っています。異言は自分を造り上げるけれども、預言は人を造り上げる、教会を造り上げる、というのです。
預言についても「用語解説」を見ていただきますと、簡単な説明が出ていますが、この箇所で言われている預言というのは、今でいうならば、説教とか、聖書の解き明かしということです。これは誰にでも分かる言葉で語られるものです。みなみななみさんの書かれた聖書の言葉を紹介しましたが、これもとても分かりやすい言葉で、神さまの愛が説明されていました。
パウロは、コリントの教会の中の一部の人たち、その人たちが、異言を語ることを否定はしませんでしたが、教会にとって本当に必要な言葉は何であるかを教えているのです。それは、人を造り上げる言葉、教会を造り上げる言葉です。
造り上げる、という言葉は、別の訳では、「徳を高める」(口語訳)、「育てる」、「成長させる」(新改訳2017)と訳されていました。預言とは、聖書の言葉の解き明かしと言いましたが、私たちは、聖書から語られる神さまの言葉によって、造り上げられていく、育てられていく、成長させられていくのです。
パウロは、異言と預言の話について、さらに次のように語ります。
14:10 世にはいろいろな種類の言葉があり、どれ一つ意味を持たないものはありません。14:11 だから、もしその言葉の意味が分からないとなれば、話し手にとってわたしは外国人であり、わたしにとってその話し手も外国人であることになります。14:12 あなたがたの場合も同じで、霊的な賜物を熱心に求めているのですから、教会を造り上げるために、それをますます豊かに受けるように求めなさい。
 世の中にはいろいろな種類の言葉があります。日本語は分かっても、英語、ドイツ語、ロシア語・・・といろいろな国の言葉がありますが、それは理解できない。教会で異言を語っても、みんなが理解できないため、それは外国の言葉を語っているのと同じことになる、というのです。それよりも、教会を造り上げるために、誰にでも分かる言葉、みんなにとって本当に必要なことを求めるようにしなさい、とパウロは語ります。
 13節以下に書かれていることからは、パウロは異言を軽んじたり、否定したりしているわけではなく、むしろ、異言を語る人たちのことを配慮していることが分かります。そればかりか、パウロ自身も異言を語ることができたようです。私は、牧師になる準備のために神学校で学んでいた時代、神学生の時の話ですが、バプテストの教会以外の教会やいろいろなタイプの教会の礼拝、集会など、見学に行ったことがあります。教えられることもたくさんありましたが、その中には、聖霊体験を強調する教会もありました。集会の中で異言が語られるようなこともありました。異言は霊的な賜物の一つであるかもしれませんが、誘惑もあると思います。異言を語ることで、自分が特別な人になったような気持ちになってしまうのです。ある方からは、「あなたは聖霊を受けましたか?」と質問されました。その方は「私は聖霊を受けました。その証拠はこれです」と言って、異言を語り始めました。そして、「あなたも聖霊を受けなさい」と言われました。私はそれに対して、「イエス・キリストを救い主と信じたことが、聖霊を受けた証拠です」と言いましたが、聞き入れてもらえませんでした。しかし、改めて、今日のような聖書の言葉を読みますと、私が信じてきたことは間違いではなかった、と思っています。

(むすび)
14:18 わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。14:19 しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。
 パウロは、異言で一万の言葉を語るよりも、理性で、つまり、誰もが分かる言葉で五つの言葉を語る方を取る、と言いました。どれだけ異言でたくさんの言葉を語っても、誰にも分からなければ、それは無意味なのです。教会の益にはならないのです。しかし、たった五つの言葉でも、誰にでも分かる言葉で福音を語るなら、それは、人を造り上げ、教会を造り上げるのです。
 最初にお読みしました1節の言葉は「愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい」でした。コリントの教会の中の異言を誇った人たちは、愛を追い求めることはしなかったのではないでしょうか。彼らは人に向かっての愛ではなく、自分に向かっての愛、自己愛に留まっていたのではないでしょうか。私は霊的だ、信仰的だ、と自分を誇るために異言を語ったのです。せっかく霊的な賜物を与えられても、聖書から聞くことをしないならば、その霊的な賜物が間違った使われ方をしてしまうのです。
「愛を追い求めなさい」とありました。私たちは愛を追い求めていくのです。私たちが福音を人々に伝えていこうとする時、神さまの愛があの人に、この人にどのようにしたら届くだろうか?といろいろと考えたり、悩んだり、工夫したりします。もうそのこと自体が、愛の心、愛の行為だと思います。そして、そこから出た言葉、愛の言葉は必ず伝わっていくと思うのです。まずは福音を伝えたいと願うその人のために祈りましょう。その人が神さまに出会い、神さまの愛を知ることができますように、と祈りつつ、伝えていきましょう。

祈り
恵み深い主なる神さま
 異言と預言について語られている聖書の言葉を読みました。「愛を追い求めなさい」。このことが最も大事なことだと教えていただき、ありがとうございます。
 パウロは分からない言葉ではなく、誰もが分かる言葉で福音を伝えることを勧めました。どうか、まず、福音を伝える私たちが神さまの愛をしっかりと受け止めていくことができますように。そして、神さまの愛によって生かされている喜びをもって、人々に福音を伝えていくことができますように。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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