イエスを私の主として歩もう(マタイ12章38~45節) 【週報巻頭言】2024年8月25日
「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」(マタイ12章43~45節)
ここで、イエスさまが語られたのは、家の話ですが、これは、私たちの心を家に例えてお話しされたのです。あなたがたの心は、きれいに掃除して、整えられているようなものだ。けれども、空き家になっている。空き家というのは、誰も住んでいない、ということです。私たちが、イエスさまから、あなたの心は空き家のような状態だ、と言われたら、どのように答えるでしょうか?おそらく、このように答えるのではないでしょうか。「いいえ、イエスさま、私の心は空き家などではありません。私の心には私が住んでいます!」それは、その通りだと思います。私の心には私が住んでいる。それは、つまり、私の家の主人は私、私の心の主人は私ということです。
しかし、イエスさまの目から見ると、私たちというのは、「空き家になっており、掃除をして、整えられていた」という状態なのです。掃除をして、整えられている、というのは、良いことだと思います。これは、私たちが、自分の力で一生懸命に、真面目に生きているということと言ってもよいと思います。そのことは、悪いことでも何でもありません。イエスさまが、問うておられるのは、空き家になっている、ということです。それはどういうことかというと、あなたがたは、本当の主人を迎えていない、本当の主人を主人としていない、ということです。
私たちが、イエスさまを信じた時、私たちは、イエスさまは私の主と告白したはずです。けれども、今も、私たちは、イエスさまを私の主、私の家の主人、私の心の主人、私の人生の主人、私の生活の主人としているでしょうか?イエスさまを主としていなければ、あなたの信仰はどうなるか?あなたの人生はどうなるか?自分の力、自分の頑張り、そういったものでは続かない。悪しきものにすぐにやられてしまい、神さまを見失ってしまう。神さまを信じる前と同じような状態、いいえ、それよりももっと悪い状態になってしまう・・・。だから、いつでも、どこでも、イエスさまと共に歩むのです。イエスさまと共に、聖霊の助けによって歩もう。イエスさまは私の主。そのことを私たちは忘れないでいたいと思います。
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