私たちの役目は?(マタイ13章44~52節) 【週報巻頭言】2024年10月27日
また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。(マタイ13章47~50節)
このたとえ話から考えられるのは、網とか、魚ということからすると、イエスさまは漁師の話をなさっているようです。漁師が、湖に網を投げ降ろして、魚を獲る場面です。イエスさまの弟子たちの中にも漁師がいましたから、自分の仕事の様子を思い起こして聞いていた者もいたでしょう。いろいろな魚が獲れました。しかし、それで終わりではありません。「良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる」とあります。食べられる魚は器に入れて、食べられない魚は投げ捨てたのでしょうか。このように、獲れた魚の選別をした、ということです。そして、それに続いて、イエスさまはこのように語られました。「世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう」。
このたとえ話では、世の終わりのことが語られています。イエスさまは、このように語っておられます。「正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け」。世の終わりには、良いものと悪いものの選別が行われるというのですが、ここで注意したいことは、正しい人々の中から悪い者をより分けるのは誰か、ということです。ここには、「天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け」とあります。より分けること、選別することは、天使たちの役目だということです。それは、弟子たちの役目ではないということ、私たちの役目でもないということが言われているのではないでしょうか。誰が正しくないか、悪いか、そのことをより分ける、選別するのは、私たち人間の役目ではない。天使たちの役目、つまり、神さまのみ手にあるということではないでしょうか。
網を投げ降ろすこと。これを、福音宣教のことだ、と説明される方がいます。福音を宣べ伝える。すると、いろいろな人が、神さまの救いにあずかる、神さまのもとに集められる。しかし、終わりの日には、私たちは、より分けられる、選別される。けれども、より分けること、選別すること、裁くこと、それは私たちの役目ではありません。私たちの役目、私たちがすること、それは福音を宣べ伝えることです。そして、後のことは、神さまに委ねていくのです。
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