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カインのしるし(創世記4章1~26節)【週報巻頭言】2024年11月17日

「わたしの罪は重すぎて負いきれません。今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」(創世記4章13、14節)

アベルを死に追いやったカインは自分がどんなに大きな罪を犯してしまったのかに気づきます。カインはこう言っています。「わたしの罪は重すぎて負いきれません」。それまで、カインは自分の罪の自覚というものはありませんでした。自分を出し抜こうとしたアベルが悪い。あるいはえこひいきした神が悪い。自分は悪くない。あの人が、この人が、神が悪い。しかし、カインは再び、神さまの声を聴きます。神さまが一人の命が失われたことを悲しみ、また自分が罪を犯してしまったことを悲しむその声を聴いた時、カインはそこで初めて我に返った、自分に向き合わされ、自分の罪に気づいたのです。「わたしの罪は重すぎて負いきれません」。そして、このように言います。殺した私もいつの日か、殺されるだろう。そういうカインに神さまは語られます。

「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。(創世記4章15節)

神さまはカインにしるしを付けられました。それは「カインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように」ということで付けられたしるしでした。このカインに付けられたしるしについて、ある牧師先生は、このしるしは、私たちにとっては十字架を示している、と言われました。罪を犯してしまったカイン。主は、カインを裁き、滅ぼすことはしませんでした。むしろ、しるしを付けることで、カインを守ったのです。この後の16、17節以下には、カインに住む所を与え、家族を与えられたことも書かれています。それはカインが神さまから赦された人生を生かしていただいていた、ということではないでしょうか。

これは私たちも同じです。神さまに愛され、赦されて生きる。そこで知ることはただ感謝することだけではないでしょうか?カインは、自分が神さまに愛され、赦されたことを知って、そこで初めて、神さまの目に留められる献げ物を献げる者、つまり、信仰によって献げる者となったのではないでしょうか?神さまを信じる人生、それは、神さまの恵み、愛と赦しに応える人生です。

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