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子供のように・・・(マタイ18章1~9節) 【週報巻頭言】2025年6月22日

「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」(3節)。偉くなることを求めていた弟子たちに向かって、主はこのように言われました。聖書の舞台であるユダヤにおいては、子供とは、無力な者、無価値な者という意味でした。自分は子供のように、無力な者、無価値な者。そのことを自覚して生きる。それが、自分を低くするということです。さらにイエスさまは、このようなことも語られました。「わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」(5節)。イエスさまは、弟子たちに、子供のようになりなさい、と言われました。そして、それに続いて言われたのが、この一人の子供を受け入れなさい、と言われたのです。これはどういうことかというと、この世において、無力な者、無価値な者とされている人を受け入れなさい、ということです。この世において、小さな者とされている人を受け入れなさい、ということです。この一人を受け入れることは、私を、つまり、イエスさまを受け入れることなのだ、というのです。

イエスさまの弟子たちのこれまでの生き方というのは、上昇志向というものだったと思います。より高い地位、より高い能力を目指していこうという生き方だったと思います。またそれとは反対に、世において低くされている人たち、小さくされている人たちには見向きもしないような生き方だったのではないでしょうか?イエスさまは、弟子たちの普段の姿、生き方をご覧になって、心を痛めておられたのではないかと思います。この人たちは、いったい何を求めて、何に向かって歩んでいるのだろうか?そういう弟子たちに、「わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」と語られたのではないでしょうか。

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