私たちは癒された(一ペトロ2章18~25節) 【週報巻頭言】2026年10月11日
あなたがたが召されたのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。
「この方は、罪を犯したことがなく、/その口には偽りがなかった。」
ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。(一ペトロ2章21~24節)
善いことを行うことで、神さまに従うことで苦しみに遭われた方のことが言われています。それは誰のことかというと、イエス・キリストのことです。キリストを信じるあなたがたは、今、苦しみに遭っているけれども、苦闘しながら歩んでいるけれども、それはキリストという模範に倣って、歩んでいることなのだ、というのです。苦しいことは辛いことだし、嫌なことです。けれども、その苦しみを通して、私たちはキリストと共に歩んでいる。それが恵みなのです。
「「この方は、罪を犯したことがなく、/その口には偽りがなかった。」ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました」とあります。罪に対して、罪で返すことはなさらなかったのです。悪に対して、悪で返すことはなさらなかったのです。すべてを正しくお裁きになる方、神さまにお任せになった、というのです。
そればかりか、イエスさまは、この世の罪のすべてを引き受けられました。「十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」。イエスさまは、私たちが罪によって受けた傷を癒すため、ご自分が傷をお受けになりました。それが十字架です。
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