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主に愛されている者(ヨハネ11章1〜16節)

ベタニア村のマリアとマルタは自分の兄弟ラザロが病気であることをいち早く、イエス様に伝えたかったようです。そこで二人は人をやって、ラザロのことを伝えます。「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」(3節)。マルタとマリアはラザロのことをこのように言わせています。「あなたの愛しておられる者」。これはマルタとマリアの確信です。二人はラザロが主に愛されている者という確信を持っていました。そればかりか、おそらく、二人は自分たちもまた、主に愛されている私という確信を持っていたのではないでしょうか。私たちはどうでしょうか。私は主に愛されている者、主に愛されている私、この確信を持っているでしょうか。クリスチャン、キリスト者、それはイエス・キリストの十字架と復活の救いを信じる者です。この救いを信じるというのは、主がこの私のために命をささげてくださった、すなわち、主が命をかけて私を愛してくださった、ということです。そうであるならば、私たちも主に愛されている者です。私は主によって救われた、主に愛されている、この確信は持つべきものなのです。そして、このことを信じる私たちは人々にも告げ知らせるのです。「あなたは主に愛された者」と。互いが主に愛された者であることを知り、分かち合う。それこそが福音宣教なのではないでしょうか。

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