私たちのなすべきことは?(マルコ10章35〜45節)
『世の光』(女性連合の月刊誌)10月号の聖書研究で大泉教会の木村一充先生が記された言葉に「私たちは、救われるために何かをする必要はありません。しかし、救われてからの私たちに、なすべきことは多くあるのです」とありました。イエス様の救いをいただいた私たちにはなすべきことがあるというのです。イエス様の救いを人々に宣べ伝えることこそは私たちのなすべきことでしょう。イエス様は仕える者、僕として生きられました。すべての人が神様のもとに立ち帰るように。神様の救いにあずかるように。そのために仕える者として、僕として歩まれました。
主の弟子たちが願ったこと、だれが一番偉いか、だれがイエス様の右に、左に座るか、だれが信仰的か、信仰深いか。そのことに関心を持つ必要はないのです。私たちに求められていることは主に倣って生きることです。主が仕える者として、僕として生きられたように、私たちも仕える者として、僕として生きるのです。そして、それこそが主に近い者であり、主と共に生きることなのではないでしょうか。「私は何をなすべきでしょう。主よ、あなたの御用のためにこの私をお用いください」と祈りつつ、仕える者、僕として歩んでいけたらさいわいです。
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