霊の実と肉の業(ガラテヤ5章13〜26節)
「わたしが言いたいのは、こういうことです。霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません」(ガラテヤ5章16節)。
ここに「霊の導きに従って歩みなさい」とあります。この「霊」というのは、神様の霊、聖霊のことです。口語訳や新改訳では御霊となっていました。神様の力と言ってもよいでしょう。私たちはどんなに善いことを行なっていこう、正しく生きていこうとしても、限りある者です。立派な行ないをしても、心の中は違うことを思っていたりもします。そういう私たち、弱い私たち、強くなろうとしてもなれないのです。頑張ろうとしても頑張れないのです。そういう私たちを神様は裁いたり、責めたりはなさらないと私は信じています。でも、神様はこのことを求めておられると思います。「霊の導きに従って歩みなさい」、「御霊によって歩きなさい」(口語訳)。これは立派に、清く生きていきなさい、ということではありません。なぜなら、そんなこと、私たちにはできないのですから。言われていることは、神様に自分のすべてをお任せして生きていきなさい、ということです。
16節以下には、肉と霊の違いが明確に記されています。肉については、19節に「肉の業」とあります。霊については、22節に「霊の結ぶ実」とあります。「肉の業」という言葉は口語訳では「肉の働き」となっていました。業とか、働き、これは私たち人間のすることです。私たちはイエス様を信じて、霊の業、霊の働きに努めていきたいと思います。でも、自分の力ではそれができないことに信仰生活の歩みの中で嫌というほど、気づかされていきます。しかし、霊の導きに従って歩むならば、私たちは弱くとも、神様が実を結ばせてくださるのです。
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