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【週報巻頭言】2021年7月25日 主の言葉に生きる幸い(マルコ12章1~12節)

「彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。それで、イエスをその場に残して立ち去った。」(マルコ12章12節)

祭司長、律法学者、長老たちはイエスさまのたとえ話から、厳しいですが、大切な問いかけを受けたのに、それを素直に受け取ることができませんでした。「これは私たちに対する当てつけだ!」と怒り、イエスさまを捕えようとします。しかし、「群衆を恐れた」とあります。群衆、それは名も無き人々です。その人たちは、イエスさまが言われる言葉に耳を傾けて聞いていた、その心に受け止めていたのです。それによって、何が本当のことなのか、真実なのか、またイエスさまという方がどのような方であるのか、見えてきていたのではないでしょうか。そこで祭司長、律法学者、長老たちはイエスさまを捕えようとするならば、この人々を敵に回すようなことになると思い、イエスさまを捕えることができず、立ち去っていったのです。

私たちはイエスさまの言葉をどのように聞くでしょうか?イエスさまから私たちは慰めを受け、励ましを受けます。しかし、それだけでありません。私たちが愛に生きるため、真実に生きるため、主は時として、右にも左にも曲がりそうな私たちに厳しく問いかけられることもあります。その時、私たちはどのように聞くでしょうか?私は神さまの言葉を聞くということは、本当のことを知る喜び、本当のことが分かる喜びがあると思うのです。使徒言行録の中でペトロがこのように語る箇所があります。「ペトロは我に返って言った。 『今、初めて本当のことが分かった』」(使徒12章11節)。我に返るというのは、本当の自分に立ち返るということです。そして、本当のことが分かった、と言っています。イエスさまの言葉を聞いて、立ち去った人たちのことをこの聖書の箇所から知りますが、私たちは、イエスさまから立ち去るのではなく、我に返り、本当のことが分かった!そのように言うことができたら幸いだと思います。

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