神にできないことは何一つない(ルカ1章26〜38節)
受胎告知で知られるルカによる福音書1章26〜38節ですが、この箇所はマリアと主の天使の対話の場面でもあります。マリアはこう言います。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(38節)。マリアは主の天使の告げた救い主がマリアによって誕生することを理解したのでしょうか?いいえ、そうではないと思います。主の天使は一生懸命、困惑するマリアに語りますが、語れば語るほど、ますますマリアにとっては理解できない、ありえないと思えたのではないでしょうか?しかし、マリアは天使の語る最後の一言が心に強く響いたのではないでしょうか。「神にできないことは何一つない」(37節)。私には理解し得ない、何か驚くべきことが告げ知らされている。けれども、この神様の言葉を信じて、神様に自分を委ねていこう。それがこの「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」ということではないかと思います。
マリアは神様から選ばれた人でした。救い主はマリアから産まれることになったからです。しかし、マリアは神様に選ばれるだけの素晴らしい信仰の持ち主だったのでしょうか?いいえ、マリアは自分のことを私は主のはしためと言っていますが、自分は何も特別な存在ではない。優れた者ではない。小さな者に過ぎない。マリアはそう思っていたでしょう。しかし、そういうマリアを神様は選ばれました。
マリアは天使から告げ知らせた神様の言葉をすぐに信じられたかというとそうではありませんでした。幾度もそのやり取りがあり、その中でマリアは「神にできないことは何一つない」、この言葉に自分を賭けた、自分を委ねたのだと思います。このように見ていきますと、マリアが信仰深い人だった、というよりも天使との対話の中で神様はマリアに信仰を与えてくださった。つまり、信仰というのは神様が与えてくださるもの、神様がその人に信じる心を与えてくださるということを知らされます。
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