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主にあって幸いな者(ルカ1章39〜56節)

マリアはこのように神様を賛美しています。「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」(ルカ1章47節)。あがめる、というのは大きくなる、という意味です。ですから、神様、あなたのみ名をあがめます、というと、神様が大きくなりますように、ということ、私の内におられる神様が大きくなりますように、ということです。神様を信じても、日々の生活の中で、神様を小さくしてしまっている。神様をどこか隅っこに追いやってしまっている。そういうことはないでしょうか?しかし、私たちは神様をあがめます、と祈っていきたいと思います。神様が大きくなりますように。神様が私の人生の中心におられ、私を支配されますように、と祈っていきたいと思います。
「身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう」(同48節)。自分のことを「主のはしため」とマリアは言っています。マリアは自分が本当に小さな、貧しく、弱い者であると言っているのです。しかし、そういう者に神様は目を留めてくださった。マリアはただ「はしため」と言っているのではありません。「主のはしため」と言っています。自分が主のもの、神様のものであるということを自覚しています。エフェソの信徒への手紙2章10節には「わたしたちは神に造られたもの」とあります。私は神様に造られた者、神様に愛されている者、神様のもの。そのことを知るとき、ここにありますように、自分が「幸いな者」であることを知るのです。マリアは自分から救い主が生まれるという幸いにあずかりました。そして、私たちもその救い主を私たちの心にお迎えし、救い主と一緒に人生を歩む者とされました。それは幸いなことです。私たちは主にあって幸いな者です。

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