何をあなたの心に蓄えるか(マタイ12章30〜37節)
「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくる。言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」(マタイ12章33〜37節)
心にあることが口から出てくるとあります。政治家の失言ということがよくニュースになります。失言した政治家は「心にもないことを言ってしまい、申し訳ありません」と謝罪をします。しかし、心にないことを口に出して言うことはありません。心にあることを人は口に出すのです。失言というのもおかしいと思います。言った言葉、それがその人の考え、人格を表すのであって、失言というよりはその人の本音と言ったほうが良いでしょう。
35節に「善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくる」とありました。私たちの倉、すなわち、心は何を入れているでしょうか?心に入れているものから外に出てきます。教会で毎日、聖書を読みましょう、祈りましょう、と言われることがありますが、これは良いものを私たちの心に入れるということです。
主の言葉を心に蓄える。主の言葉、主のお考えが私たちの心を支配するように。これが主が私たちに求めておられることです。詩編119編11節にこのような言葉があります。
「わたしは仰せを心に納めています/あなたに対して過ちを犯すことのないように。」
口語訳聖書ではこのようになっています。
「わたしはあなたにむかって/罪を犯すことのないように、心のうちにみ言葉をたくわえました。」
神様の言葉を心に蓄えましょう。そして、神様のみ心が私たちを支配しますように。
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