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主イエスに生かされて(ガラテヤ2章20節)

 信仰生活とは信仰と生活という言葉の通り、観念的なものではありません。それは私たちの実際の生活の中で表されるものです。牧師(私)は礼拝が終わると、何とか聖書の言葉を語りきった。けれども福音を十分にお伝えできただろうか?いろいろな思いを持って、礼拝を終え、今日からの新しい週を歩みます。大事なのはその日々の生活です。聖書の言葉は知っているけれど、聖書の言葉に果たして生きているだろうか?神様の愛を信じていると言いながら、その神様の愛に生きているだろうか?そういう自分にいやというほど、気づかされていきます。本当はそういうことは考えたくないし、見ないようにしたい。その方が楽に生きていけると思う。でも、忘れてしまおうとしても、隠してしまおうとしても、心に痛みをおぼえる。それがイエス様が私たちに与えてくださった信仰です。信仰は私たちの心の目を開かせ、大切なことを見ること、知ることができるようになるのです。
 そして、私たちは悔い改めへと導かれます。悔い改めとは、自分の罪(神様のみ心でないこと、神様の喜ばれないこと)に気づき、生き方を改めることです。そうは言っても、自分自身の力で自分を改めることはできません。自分を新しくすることはできません。そういう私たちのために、私たちを罪から救うために十字架にかかってくださり、私たちが新しく生きるために復活され、今、一緒に歩んでくださっているイエス様。「あなたは何を持ってイエスを主と信じていると言えるのか!」もしそのように問われたなら、「私には何もありません。でも私を愛してくださるイエス様によって生かされているのです。その恵みに少しでも感謝して応えていきたいと願いながら歩んでいます」(ガラテヤ2章20節参照)。私たちが言えることはこのことだけです。私たちの主、私たちの神様、この方に自分を委ねて、歩んでいきたいと思います。

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