聖なる者たちへ(コロサイ4章7〜18節)
この手紙の宛先は「コロサイにいる聖なる者たち、キリストに結ばれている忠実な兄弟たちへ」(コロサイ1章2節)とありますように、コロサイにいる教会の人たち、キリストを信じる人たちです。パウロはコロサイにいる人たちをコロサイにいる「聖なる者たち」と言っています。教会に連なる私たちもおそらくそのように呼ばれるでしょう。聖なる者と言われると、面はゆい気持ちがするかもしれません。しかし、聖書が言っている聖なる者というのは、その人自身が清く正しい人だから聖なる者というのではありません。聖なる者とされた、ということです。
パウロはコロサイにいる人たちのことをこのようにも呼んでいました。「キリストに結ばれている忠実な兄弟たち」。キリストに忠実な兄弟たち。コロサイの教会にも、私たちの教会と同じく、男性も女性もいたでしょうから、忠実な兄弟姉妹たちと言った方が正確でしょう。おそらくパウロは私たちのことも忠実な兄弟姉妹たちと呼んだと思います。
聖なる者たち、忠実な兄弟姉妹たち。私たち自身は自分を見つめてみると、そんな者ではない!と思うでしょう。この言葉を理解する鍵になる言葉があります。同じ2節にあります「キリストに結ばれている」という言葉です。キリストに結ばれている、キリストにつながっていると言ってもよいでしょう。私たちはキリストに結ばれているから、つながっているから、聖なる者とされた、忠実な兄弟姉妹とされたのです。
イエス様は、イエス様と私たちの関係をぶどうの木で言い表されました。イエス様はまことのぶどうの木、私たちはその枝です(ヨハネ15章4、5節参照)。私たちは自分では実を結ぶことはできませんが、イエス様につながっていれば、実を結ぶことができる、豊かに実を結ぶことができるのです。イエス様につながっていましょう。キリストの体なる教会につながっていましょう。
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