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【礼拝説教】2021年7月18日「目覚めていても眠っていても主と共に」

2021年7月18日(日)(朝・夕)赤塚教会礼拝説教「目覚めていても眠っていても主と共に」テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章1~11節

聖書―テサロニケの信徒への手紙一5章1~11節
(はじめに)
 主の日はいつ来るのか。それが初代教会と言われる最初のキリスト教会にとって大きな関心事でした。最初のキリスト教会だけでなく、現代のキリスト教会に連なる私たちも主の日を待ち望んでいます。では主の日とは何かと言いますと、イエス・キリストが世の終わりに再びおいでになるということです。そして、主はこの世を正しく裁かれ、救いを完成されます。しかし、その日、その時はいつなのか誰にも知らされていません。イエス様ご自身、弟子たちにこのように言われました(マタイ24章36節)。
24:36 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。
 「天使たちも子も知らない」。それは天使も、イエスさまご自身も知らない、ということです。そして、「ただ、父だけがご存じである」。神さまだけがご存じであるというのです。今日の聖書の箇所にもこのように書かれていました(1、2節)。
5:1 兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。5:2 盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。
 その時、時期について書き記す必要がないというのは、主の日がいつなのか、すでにあなたがたは聞いて、知っているからだ、ということです。「盗人が夜やって来るように、主の日は来る」、思いがけない時にその日は来るというのです。

(聖書から)
 主の日が来る、その日、その時がいつなのか、私たちには分かりません。3節には、何か恐怖心を煽られるような言葉が書かれています。
5:3 人々が「無事だ。安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやって来るのと同じで、決してそれから逃れられません。
 これを読みますと、主の日が来ることについて、破滅が襲う、とあります。破滅という言葉から、何か恐れを抱くかもしれません。また妊婦にとっての産みの苦しみがやって来るのと同じだ、とも言われています。この後の4節以下は、「しかし」という言葉から始まります。この「しかし」という言葉から語られるメッセージは、次のような内容です。
5:4 しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。5:5 あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。
 「兄弟たち」、この呼びかけは、イエスを主と信じる人たちへの呼びかけです。イエスを主と信じる人たちは暗闇の中にいるのではない、というのです。暗闇の中にいるのではないあなたがたには、主の日が突然、あなたがたを襲うことはない。5節には、あなたがたは夜にも、暗闇にも属していない。あなたがたはすべて光の子、昼の子とあります。
 ここまで読んできて、分かりにくく思えるのは、主の日は突然やって来ると言われていながら、しかし、あなたがたにはそうではない、と言われていることです。これはどういうことでしょうか?さらに次の言葉を読んでみます。
5:6 従って、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。5:7 眠る者は夜眠り、酒に酔う者は夜酔います。5:8 しかし、わたしたちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。
 ここには、眠ることと酔うことが言われています。普通、眠るというと、私たちは夜に眠ります。日中の明るいうちは活動し、夜になって眠る。そのようにして私たちは一日を過ごしていきます。酒に酔うということもここに言われていますが、昼間からお酒を飲む人はいないでしょう。この前、ニュースを観ていましたら、今、コロナ禍にあり、ステイ・ホームということが言われていますが、ずっと家にいると、朝も夜も区別がつかなくなって、一日中、飲酒をして、体調を崩してしまう人が増えているのだそうです。
 6節には「ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう」とあります。目を覚まし、身を慎む。この身を慎む、という言葉は直訳的に訳すと、「素面(しらふ)でいましょう」ということです。素面、つまり、飲んで酔うような状態ではないようにしましょう、ということです。先日、自動車事故のニュースが大きく報道されていました。トラックの運転手がお酒を飲んで、酔った状態で運転し、大きな事故を起こしてしまった、ということでした。飲酒運転をしたわけです。酔っている状態ですと、判断力、注意力などがなくなって危険な運転をしてしまいます。私たちも素面、酔っている状態であってはならない、というのです。ある牧師先生は、ここで言われていることは、罪に酔っている状態への戒めのことだと言われます。罪に酔う、罪に支配されている状態です。
 「身を慎んでいましょう」、素面でいましょう。それは罪に酔わない、罪に支配されていない状態ということです。酒に酔っているなら、安全な運転はできませんから、運転してはいけません。罪に酔っているなら、せっかく神さまから与えられた人生にあって、正しい判断ができず、注意散漫になってしまいます。だから、信仰の目を覚ましていましょう。罪に酔わないで、罪に支配されないでいましょう、というのです。そして、これこそは主の日に対する良き備え、準備なのです。備えが、準備ができているなら、いつ主の日が来ても大丈夫なのだ、というのです。
 8節に「信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう」とありました。これと似た内容はエフェソの信徒への手紙6章にあります。信仰、愛、救いが戦闘の道具、武具に例えられています。このことについて、ある牧師先生は、「胸当てと兜、それは攻撃するための道具ではない。自分を守るための道具、防具である」とおっしゃっています。私たちに示された信仰、愛、救い、それは人を攻撃するものではないというのです。それは私たち自身を守るもの、罪から、悪から守るものなのです。
 イエスを主と信じる私たちについて、今日の聖書の言葉は、このように語ります。あなたがたは光の子、昼の子とされた。あなたがたは暗闇にはいない。そして、その恵みは次にお読みするみ言葉にも語られています。
5:9 神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。5:10 主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。
 神さまは私たちを怒りに、すなわち、神さまの怒りによる裁きに定められたのではありません。私たちはイエス・キリストの救いにあずかるように定められました。そして、主は私たちを救うために死なれました。これは主が十字架にかかって死なれたということです。そのことのゆえに、私たちは目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになる。目覚めていても、眠っていても、とは、生きていても、死んでいても、ということです。私たちの中に、主を信じて、すでに亡くなられた人がいます。今、生きている人もいます。しかし、死んでいても、生きていても、私たちは主と共に生きる者とされた、永遠の命に生きる者とされた。その恵みが語られているのです。

(むすび)
 今日の最後の箇所をお読みします。
5:11 ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい。
 私たちが主にあって、互いに励まし合い、お互いの向上に心がけていくように、という勧めが語られています。神さまは私たちを光の子とされ、救いに定められました。そして、主と共に生きる者としてくださいました。このことが私たちにとっての大きな励ましであり、慰めです。さらにそういう私たちに、お互いの向上に心がけるように、と言われています。この「お互いの向上に心がけなさい」という言葉は、聖書協会共同訳では「互いを造り上げるようにしなさい」となっています。他にも「各自が互いに建て合いなさい」(岩波訳)と訳されています。もとの言葉は建物を建設する意味の言葉で、建て上げるとか、造り上げる、と訳すことができる言葉です。教会とは、どういう群れでしょうか。教会とは、互いに励まし合い、慰め合う群れです。そして、互いを建て上げる、造り上げる群れです。私たちは、お互いが建て上げられていくように、造り上げられていくように、祈り合い、励まし合い、主にあって良き歩みを続けていきましょう。

祈り
恵み深い主なる神さま
 「目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるため」、このことのために、主はご自分の命をささげてくださいました。感謝します。
 キリスト教会が誕生して二千年経った今も、私たちキリスト教会は主の日を待ち望みます。主の日は突然、盗人のようにやって来ますが、私たちは信仰の目を覚まし、素面の状態で、主を待ち望みます。
 最善の主の日の備え方を主は教えてくださいました。それは主の体なる教会に連なる私たちが互いに励まし合い、互いに建て上げることに努めることです。そのようにして教会は世のただ中にあって神さまの愛を表し、新たに主のもとに立ち返る人たちをお迎えします。すべての人々が主を礼拝し、賛美し、主の日に備えることができますように。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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