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【週報巻頭言】2021年10月3日 神さまを愛する心、信頼する心から(マルコ12章38~44節)

イエスさまは一人の貧しいやもめのささげものについて、このように言われました。「この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れた」(マルコ12章44節)。この「生活費」という言葉ですが、この言葉は「生活」とか、「命」と訳すことのできる言葉です。そうしますと、このやもめは「生活を全部ささげた」、「命を全部ささげた」と読むこともできます。すると、ここでイエスさまが言われたことは、たくさん献金をささげなさい、とか、自分の持っているものの中から多くの割合分をささげなさい、ということではありません。イエスさまは、このやもめが生活のすべてを、命のすべてを神さまにささげた、ということ、つまり、このやもめの神さまに対する信頼、神さまに対する愛を人々に知らせたかった、人々と分かち合いたかったのではないでしょうか。

やもめのささげものの箇所の前に、律法学者に気をつけなさい、という箇所がありました(同38節)。律法学者に気をつけるように。それは、律法学者は悪い人たちだから気をつけなさい、という話ではありません。律法学者が陥った誤りにあなたがたも気をつけなさい、ということです。律法学者は人々からもてはやされ、尊敬され、神さまに対する心、思いよりも、人の目を気にするようになりました。人々からの賞賛を得ることを求めるようになりました。しかし、一人の貧しいやもめはそうではありませんでした。神さまを愛する心、神さまを信頼する心から、この人はささげたのです。

献金のことだけでなく、奉仕や伝道、私たちが行う一つ一つのことは、神さまを愛する心、神さまを信頼する心から行われるものです。それは人に誇ったりするものではありません。人と比べて、優越感や劣等感を持つことも必要ありません。なぜなら、人の目や評価のためではなく、神さまに対して行うものだからです。イエスさまは人々のささげものを見ておられました。いいえ、そのささげものよりも、そのささげる姿、その心を見ておられたのです。私たちはどうでしょうか?献金や奉仕や伝道、それらのことをどのような心で、どのような思いで、そして、誰に対して、行っているでしょうか?私たちもこのやもめのように、神さまを愛する心から、神さまを信頼する心から、すべてのことを行っていきたいと思います。

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