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【週報巻頭言】2022年2月13日 神の賞賛を信じて(一コリント4章1~5節)

「ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。」(一コリント4章5節)

主が来られるまで、主の日まで、私たちは神さまを差し置いて、先走って裁くようなことをしてはいけない、というのです。ここにはこのようなことも書かれています。「主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます」。神さまはすべてをご存じの方です。私たちの隠されている罪もすべて明らかにされるということでしょうか?それは私たちにとって大変恐ろしいことです。この言葉の後には、私たちの罪のすべてが明らかにされ、私たちは神さまから厳しい裁きを受けるでしょう、と続けられているのでしょうか?

「そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります」。これは何とも不思議な言葉です。神さまは私たちのすべてを知っておられますから、もう後は裁きしかない!そう思われる方があるかもしれませんが、ここに書かれているのは、「そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります」、別の訳では「その時それぞれに、賞賛が、神から与えられるであろう」(岩波訳)とあります。何と、裁きではなく、おほめにあずかる、賞賛が与えられる、というのです。

なぜ、神さまは、私たちに対して、裁き、叱責ではなく、賞賛をお与えになるのでしょう?その理由は、イエスさまの十字架です。イエスさまが私たちを罪から救うために十字架にかかってくださった。それは私たちが裁かれないため、私たちが神さまの救いにあずかるためです。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネ3章16、17節)

私たちは罪深い者です。私たちの罪はどれだけ大きなものでしょうか。しかし、神さまの愛と赦しは私たちの罪の深さ、大きさよりもはるかに深く、大きいのです。このことをおぼえて、こんな私を救い、賞賛を与えてくださるという驚きの福音。福音とは良い知らせということですから、まさにこれは私たちにとって良い知らせです。このことを喜び、感謝して、この良い知らせをお伝えしていきましょう。また、この救いの恵みに応えていきましょう。

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