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聖書の画像 板橋の教会

死んだのではない。眠っているのだ。(マタイ9章18~26節) 【週報巻頭言】2023年10月29日

イエスは指導者の家に行き、笛を吹く者たちや騒いでいる群衆を御覧になって、言われた。「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。(マタイ9章23、24節)

主は会堂長ヤイロの家に行きました。そして、ヤイロの娘の死を悲しむ人たちにこう言われました。「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない。眠っているのだ」。悲しんでいる人たちに向かって、イエスさまは「あちらへ行きなさい」と言われました。そして、イエスさまはこう言われたのです。「少女は死んだのではない。眠っているのだ」。

これを聞いた彼らは、イエスさまをあざ笑った、というのです。「何を言っているのか。もう死んでしまったのだ。眠っているなんてなんと馬鹿なことを言っているのだ」。そういう気持ちだったのでしょう。

群衆を外に出すと、イエスは家の中に入り、少女の手をお取りになった。すると、少女は起き上がった。このうわさはその地方一帯に広まった。(同25、26節)

イエスさまは家の中に入られ、ヤイロの娘の手をお取りになりました。そうしたところ、娘は起き上がった、というのです。つまり、娘は生き返ったのです。イエスさまがヤイロの娘を生き返らせた、という奇蹟がここに起こりました。ヤイロは娘を亡くした直後、主のもとに行き、このように言いました。「わたしの娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう」(同18節)。イエスさまがおいでになって手を置いてくださったら、イエスさまが娘に触れてくださったら、生き返る。ヤイロは悲しみのあまり、このようなことを言ったのでしょうか?いいえ、私は、ヤイロは心からイエスさまを信じていたと思います。イエスさまはその信仰を受け止めてくださって、ヤイロの家に行かれたのです。

イエスさまは、死んだのではない、眠っている、と言われました。人は死んだら、終わりではないのです。眠っている、と言われたように、眠りから覚める、起こされる日が来るのです。それが復活です。日本語で復活する、よみがえる、と訳されている言葉は、元々は、起こされる、という言葉です。ヤイロの娘はイエスさまによって生き返りました。しかし、永遠に生き続けたわけではなかったでしょう。何年後かには、地上での生涯を終えたと思います。イエスさまはこの出来事を通して、死は終わりではなく、眠りであること、主が終わりの日に復活させてくださることをお示しになったのです(ヨハネ11章24~26節参照)。

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