主は私たちを待ち望んでおられる(マタイ23章25~39節) 【週報巻頭言】2026年8月2日
「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられて荒れ果てる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない。」(マタイ23章25~39節)
「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ」。新共同訳聖書では、37節以下について、「エルサレムのために嘆く」という小見出しを付けています。イエスさまは、律法学者たち、ファリサイ派の人々、そして、群衆、弟子たちの罪を嘆いておられる、悲しんでおられるのです。このマタイによる福音書23章には、厳しい言葉が語られていましたが、それはイエスさまが、人々の罪を嘆いて、悲しんで語られたことだったのです。私たちが罪に陥り、罪に支配されることを主は嘆いておられる、悲しんでおられる。そのイエスさまの心を私たちは忘れてはならないのです。
「めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか」とあります。神さまは、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、私たちを集めようとされる方なのです。今まで、何度も、何度も神さまの方から、私の下に来なさい、と呼びかけてきたのに、あなたがたはことごとくそれを拒否してきたというのです。
以前、教会の案内掲示板を東武東上線の下赤塚駅のところに掲げていたことがあります。その掲示板には、こういう聖書の言葉を載せていました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」。これはマタイによる福音書11章28節の言葉です。「だれでもわたしのもとに来なさい」。イエスさまの招きの言葉です。この言葉のように、私たちは今、イエス・キリストの恵みの下に入りなさい、と呼びかけられているのです。
マタイによる福音書23章39節には、「言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない」とありました。私は、この「『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで」という言葉がとても心に残りました。これは、イエスさまが、私たちが神さまに立ち帰り、「主の名によって来られる方に、祝福があるように」と神さまを賛美する日が来ることを待ち望んでいたということではないでしょうか。主は私たちを呼んでおられます、招いておられます。主の下に立ち帰って行きましょう。
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