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「人の子を待ち望んで歩もう」マタイによる福音書24章15~31節 2026年9月6日 

人の子を待ち望んで歩もう マタイによる福音書24章15~31節 2026/ 9/ 6 赤塚バプテスト教会(朝・夕)礼拝説教 石堂雅彦牧師

(はじめに)
 お読みした聖書個所はマタイによる福音書24章15節からの言葉です。イエスさまがエルサレムの神殿の崩壊について語られたことがきっかけとなって(23章38節、24章2節参照)、終末、終わりの日についての話になった、という内容です。
 ところで、終末、終わりの日ということを皆さんは意識したことがあるでしょうか?考えたことがあるでしょうか?今は21世紀ですが、今からに三十年前、20世紀の終わりの時代は、世紀末ということでもうすぐ地球や人類が滅亡するのではないかという映画や本が流行ったことがありました。また、20世紀の初めには、ハレー彗星が地球に接近するということで、世の終わりが来る!といううわさが広まったそうです。このようにいつの時代にも、戦争や地震、災害などが起きると、世の終わりが近いのではないか?という不安、恐れが人間の心を支配してきました。
 お読みした聖書の冒頭、15節には、こういうことが書いてありました。
24:15 「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――、
 預言者ダニエルという人の言葉が引用されていますが、これは旧約聖書のダニエル書の言葉です(ダニエル書9章27節、11章31節、12章11節参照)。ダニエルの時代というのは、紀元前6世紀、イエスさまの時代から、五百年、六百年前の話です。このダニエルの時代には、バビロン捕囚があり、ユダヤ人の信仰の拠り所であったエルサレムの神殿が陥落するということがあり、当時の人々は世の終わりが来たのではないかと嘆き、悲しみました。そして、イエスさまのおいでになった時代、イエスさまの弟子たちも、イエスさまが神殿の崩壊について語られたことを聞いて、大変心配になり、終わりの日はいつなのでしょうか?(24章3節)とイエスさまに尋ねたのです。
 このマタイによる福音書24、25章というのは、マタイの小黙示録とも言われます。イエスさまの弟子たちや当時のユダヤの人たちが、戦争や地震、災害などで不安になって、まもなく世の終わりが来るのではないかとイエスさまに尋ねたことを受けて、イエスさまが、終末、終わりの日とはどういうものであるのか答えていったという内容です。

(聖書から)
 イエスさまは、人々にこのようにお答えになりました。
24:16 そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。24:17 屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。24:18 畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。24:19 それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。24:20 逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。
 まず、16~20節までをお読みしました。15節に「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら」とありましたが、これは、エルサレムの神殿を破壊する者ということです。神さまを礼拝する場を破壊し、人々を苦しみに陥らせる者です。それに対して、どうしたらよいのかというと、「そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」と言われました。さらに「屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない」と言われました。すぐに逃げなさい、避難しなさい、と言われました。
 先週の火曜日、9月1日は防災の日でした。9月1日というのは、関東大震災の発生した日です。毎年この日を防災の日として、日頃から防災の意識をもつようにと定めたのです。お読みした聖書にありましたように、まずは逃げること、避難することが大事です。
 ところで、18節に「畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない」とありました。別な訳では、「畑にいる者は、後ろに向きを変えて自分の着物を取りに戻るな」(岩波訳)となっていました。「後ろに向きを変えて」はならない、ということが明確に訳されています。後ろを振り向いてはならない、後ろを振り返ってはならない、というのです。
 けれども、私たちは、すぐに後ろを振り向いてしまう、振り返ってしまうのではないでしょうか?例えば、過去の辛い経験を振り返ってしまう。もしそれが、前に進むための発奮材料になるのならいいでしょうが、前に進むどころか、過去を振り返っては嘆き、落ち込み、そこでずっと立ち止まってしまうようなことになるなら残念なことです。また、この後ろを振り向くということが、自分の過去の栄光にしがみつくとか、自分にとって手放せないものがあるために前に進むことができない、ということであるなら、それもまた残念なことです。フィリピの信徒への手紙3章13、14節には、「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走る」という言葉があります。私たちは、キリストに向かって走る、歩む者です。
一方、この後には「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい」という言葉が続いていますが、イエスさまが、逃げること、避難することが困難な人たちのことを心配しておられることが分かります。
続いて21節以下をお読みします。
24:21 そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。24:22 神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。
 苦難について語られていますが、22節のこの言葉は希望の言葉です。「神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう」。私たちは苦しみの中にある時、「この苦しみはいつまで続くのだろうか?」と思いますが、ここには「選ばれた人たちのために・・・」とありました。これは、神さまに救いを求める、助けを求める人たちのことです。神さまは、神さまに救いを求める、助けを求める私たちの声に耳を傾けてくださり、私たちを苦しみから立ち上がらせてくださるのです。
24:23 そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。24:24 偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。24:25 あなたがたには前もって言っておく。24:26 だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。
 偽メシア、偽預言者のことが言われています。いろいろな偽りの宗教、信仰がありますが、政治的なこと、経済的なことの救い主と思えるような人たちのことも言えるでしょう。力ある言葉や行いをする人が現れると、その人が英雄視され、神のように崇められる。そして、そのような人が世の中を支配したり、人々を惑わしたりするということもあるのです。そういう世にあって、私たちは、何が神さまの前に真実なことなのか、正しいことなのかをしっかりと見極めていくことが大事です。
24:27 稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。24:28 死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ。」
 ここに「人の子」とありました。これはイエスさまご自身のことです。28節の「死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ」という言葉は当時のことわざです。これは「その場所を見るなら何が起きているか、何があるかが分かる」という意味で、イエスさまは稲妻がひらめくように、誰の目にも分かるようにおいでになるということが言われているのです。

(むすび)
 「人の子」という言葉は、最初にお話ししたダニエル書に出て来る言葉です(ダニエル書7章13節、8章17節、10章16節)。イエスさまの時代から六百年ほど前に、幻で示されていた「人の子」、それがイエスさまだったのです。
24:29 「その苦難の日々の後、たちまち/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、/星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。
24:30 そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。
24:31 人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
 終末、終わりの日はいつ来るのか?という問いに対して、イエスさまがお答えになったこと、それは、終末、終わりの日というのは、人の子が来る時だと言われるのです。終末、終わりの日とは、何か恐ろしい、苦しみがもたらされる日というのではありません。その日は救い主であるイエスさまが再びおいでになり、神さまのご計画された救いを完成させる喜びの日なのです。
「彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める」とありました。「彼によって選ばれた人たち」とは、誰のことでしょうか?「彼」とは、人の子、イエスさまのことです。イエスさまによって選ばれた人たちというと、私たちは「自分はイエスさまに選ばれているのだろうか?イエスさまに選ばれるような立派な生き方はしていないし・・・」と思うかもしれません。けれども、立派な人、正しい人、罪のない人というのは、誰もいません。みんな不完全な、欠けだらけの者です。しかし、神さまはそういう私たちを呼び集めておられる、招いておられるのです。大事なことは、私たちが、その呼びかけ、招きに応えていくことです。
 二つの聖書の言葉をお読みして終わります(二ペトロ3章8、9節、一テモテ2章4節)。
3:8 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。3:9 ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。
2:4 神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。
 私たち一人一人に、神さまの呼びかけ、招きがあります。私たちは、今日、今、応えていこうではありませんか。お祈りいたします。

祈り
恵み深い私たちの主なる神さま
 戦争や地震、災害などで不安の中にある人たちに、主が終末とは何か、終わりの日とは何か、応えてくださいました。主は再びおいでになる。それは、私たちを滅ぼすためではなく、救いを完成するためです。私たち誰もが主から、私のもとに来なさい、と呼びかけられ、招かれています。どうか、私たちはこの主の呼びかけ、招きに応えていく者としてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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