キリストと共にあるということ(二コリント4章16節〜5章10節)
今、私たちのこの世での、地上での生活、歩みはここに記されていますように、「この地上の幕屋にあって苦しみもだえています」(5章2節)、「この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいております」(5章4節)。苦しみもだえている私たちであり、重荷を負ってうめいている私たちです。そういう私たちですが、天から与えられる永遠の住みかに目を注いで生きるのです。キリストを信じる私たち、しかし、苦しみの中に生きる私たちに聖書は慰めの言葉を語ります。「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」(フィリピ1章29節)。苦しみについて、パウロはこう言います。キリストのための苦しみだと。しかも、それは恵みとして与えられているというのです。私たちはキリストを知らない時代、信仰に生きる以前は苦しみというのは不幸のしるしと考えていたかもしれません。しかし、聖書は語るのです。キリストのための苦しみ、それは恵みとして与えられているのだと。苦しみ、それは不幸のしるしではありません。キリストが共におられるしるしと言って良いのではないでしょうか。キリストの苦しみ、主の十字架の歩みに私たちもあずからせていただいていることではないでしょうか。
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