【礼拝説教】2023年3月5日「思い悩むな」
聖書―マタイによる福音書6章25~34節
(はじめに)
「思い悩むな」とイエスさまは語られています。しかし、思い悩みのない人は、誰もいないのではないでしょうか?むしろ、私たち人間は生きている限り、様々な思い悩みを持ちながら生きているということができるでしょう。そういう私たちに、イエスさまが「思い悩むな」と語っておられる。それだけでなく、イエスさまは、なぜ、思い悩まなくてもよいのか、そのことも語っておられます。
(聖書から)
25節には、このようなことが書かれていました。
6:25 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。
「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと」とあります。人間は、命のために、つまり、生きるために食べること、飲むことが必要です。よくキリスト教のことで批判する方の中には、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4章4節)。この言葉から、パン、これは私たちが生きるために必要な糧のことを言っていると思いますが、食べるものがなくても、神の言葉だけで生きると言っている、と言われる方があります。しかし、ここに書かれていることは、「人はパンだけで」とあり、「パンなしに」とはありません。パンが必要ではない、ということではありません。
一方で、今日の聖書箇所は、「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな」とありました。食べること、飲むこと、そして、着ること、つまり、衣食住のことです。これは、もちろん大事ですが、そのことで思い悩むな、とイエスさまは言われます。食べること、飲むこと、着ることで思い悩んでいるというのは、人はパンだけで生きるもの、自分の力だけで生きるものと考えていて、「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」、神さまの愛と恵みに支えられて、助けられて生きている。そのことを忘れているということではないでしょうか。
イエスさまは、続けて、このように語られました。「命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか」。命のために食べ物を得ようと、あくせくと働く、体のために衣服を得ようと、あくせくと働く。それが私たちの人生。そう言えると思います。ところが、イエスさまは、「命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切」と言われます。命があれば、食べ物は必要ない、体があれば、衣服は必要ない、ということでしょうか?そうしますと、意味が分からなくなってきます。
ここでイエスさまが、命が大切、体が大切と言われたのは、そういうことではないのです。ここでイエスさまが言われたこと、それは、あなたがたが命のために、体のために、と考える、その命、その体を与えたのは誰か、ということが言われているのです。では誰が命を与えたのか、体を与えたのか。聖書は、命を与えたのは、体を与えたのは、神さまであると教えています。
イエスさまは、そのことを、空の鳥や野の花の話で教えておられます。まず、空の鳥の話を読んでみます。
6:26 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。6:27 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
「種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない」とあります。鳥は、人間が生きるために、種を蒔き、その刈り入れをし、収穫したものを倉に納めるようなことはしない。何もしない、ということでしょうか。あなたがたも、鳥が何もしなくても、神さまが養ってくださるのだから、あなたがたも何もしないでいなさい。神さまが養ってくださるのだから・・・。そういう話でしょうか?
鳥は生きるために何もしないわけではありません。食べ物を得ようと必死で生きています。子育てのために必死で生きています。鳥は鳥として一生懸命に生きています。26節には、「あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」とあります。何もしないのに、神さまが養ってくださっている。そういうふうにも理解されるかもしれませんが、ここで言われているのは、神さまが養ってくださっている。それは、私たちが自分の力だけで生きているのではなく、「生かされている」ということ、「神さまによって生かされている」ということが言われているのではないでしょうか。
ですから、27節には、「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」とありますように、私たちがどんなに、長生きする方法を考え、あれをしよう、これをしようと思い悩んだとしても、命を与えてくださるのは、神さまですから、最終的には、神さまのみ手に委ねるほかないのです。神さまによって生かされている、神さまによって命を与えられている私たちなのです。
イエスさまは、野の花の話をされます。
6:28 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。6:29 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。6:30 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
野の花について、「働きもせず、紡ぎもしない」と言われます。先ほどの空の鳥の話では、種蒔き、刈り入れ、倉に納めるという話をされましたが、これは当時の男性の仕事でした。野の花の話では、働きもせず、紡ぎもしない。これは当時の女性の仕事のことです。人間のように、働くこと、紡ぐこともしないように見える野の花ですが、その着飾り具合、装いは素晴らしいものだ、とイエスさまは言われます。これは、ただただ神さまの恵みによって生かされているということが言われているように思います。
ところで、イエスさまは、「空の鳥をよく見なさい」、「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい」と言われました。鳥や花を見るように、と言われていますが、思い悩んでいるときの私たちというのは、自分のことしか見えません。いいえ、自分のことしか見ません。周りのことが見えなくなる。いいえ、見ようともしません。そしてひたすら、自分の苦しみ、不幸を嘆きます。イエスさまが、空の鳥を、野の花を見るように、と言われたのは、そういう私たちに、自分のことだけを見つめていくことをやめるようにと言われたのではないでしょうか。
ある人は、自分の悩みで心がいっぱいになって塞ぎ込んでしまいました。ある時、親しい友人が、この方に、「私はあなたのことをいつも祈っていますよ」と言いました。「私は独りなのだ。私だけが苦しんでいるのだ。誰も私のことを分かってくれない・・・」。そう思っていたのが、あなたのために祈っています、という言葉を聞いて、「ああ、私は祈られているのだ。私は独りではない。私のために祈っている人がいる」。祈られている私なのだ。この一言がこの人を慰め、力づけ、立ち直らせた、というのです。
イエスさまは、「信仰の薄い者たちよ」と言われました。これは裁きの言葉ではありません。あなたがたの信仰は薄い、足りない。だから、あなたがたはダメなのだ、と言われたのではありません。イエスさまは、おそらくこういう意味で言われたのだと思います。「あなたがたは思い悩んでいるけれども、もっと私を信頼してほしい。私はあなたがたを愛している、あなたがたのことを心配している」。
6:31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。6:32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。
ここで「異邦人」というのは、神さまを知らない人ということです。「あなたがたは、神さまを知っているだろう。そして、神さまもあなたがたのことを知っておられる。あなたがたに必要なことを知っておられる。だから、思い悩まないで、その神さまに祈ってごらん。神さまを信頼して祈ってごらん・・・」。
(むすび)
6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。6:34 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
「神の国と神の義を求めなさい」と主は語られました。これは、神さまについていきなさい、神さまの言葉を頼りに生きていきなさい、ということです。いろいろなことで思い悩んでしまう私たちです。明日のことは分かりませんから、将来のことを考えれば、考えるほど、不安になってしまいます。生活のこと、健康のこと、いったい自分はどうなるのだろうか?家族はどうなるのだろうか?「その日の苦労は、その日だけで十分である」と主は語られました。一日一日、神さまを信頼しながら、精一杯生きていきなさい、ということです。私たちのことを知っておられ、明日のことを知っておられる神さまに自分を委ねて歩んでいきましょう。
祈り
恵み深い主なる神さま
私たちの日々の歩みは思い悩むことの多い毎日です。しかし、主は「思い悩むな」と語られます。
「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」と語られていました。あなたは私たちのすべてをご存じです。そのあなたに自分を委ねて歩んでいくことができますように。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン
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