召し使いたちは知っていた(ヨハネ2章1〜12節)
「このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかった」。水がぶどう酒に変わったという奇跡、主のみわざが起こりました。しかし、それがどこから来たのか、世話役は知りませんでした。知っていたのは水をくんだ召し使いたちでした。水をくんだ召し使い。実際にイエス様の言われるとおりを行った人たちはイエス様のみわざを垣間見たのです。主の言葉に聴き従う者に与えられる恵みはこのようなものです。主に聴き従った者は主のみわざを拝することができるのです。ぶどう酒とは喜びの象徴であると言いました。それで言うならば、この喜びがどこから来たのか、主に聴き従う者は知っているのです。救いの喜び、変わることのない、なくなることのない永遠の喜びを主に聴き従う者は知っているのです。そして、この喜びを知っている私たちは人々にお知らせするのです。それが福音宣教、伝道です。「このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていた」。主の言葉に聴き従う者、主の言われるとおりに生きようとする者はこの喜びを知るのです。主のみわざを見るのです。救いの喜びから、そして、主のみわざを見るために主に従っていきましょう。
この記事へのコメントはありません。