すべて本当だった(ヨハネ10章31〜42節)
「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したことは、すべて本当だった」(ヨハネ10章41節)。
聖書を読んでいきますと、二つの信仰を知らされます。一つはしるしを見て信じる信仰です。イエス様がこんな奇跡を行なった。病気の人を癒した。悪霊を追い出した。だから信じる。そういう信仰です。もう一つは、この方について話したことは、すべて本当だった、真実だった。神様という方は真実な方だから、信じるという信仰です。もっとこの二つの違いをお話しますと、しるしを見て信じる信仰というのは、自分が祈って、願ったことがかなえられたから信じる。かなえられなかったら信じることをやめる。自分の考えや思いと違うから信仰生活をやめる。言ってみれば、自分を主体とする信仰です。
一方、神様は真実であると信じる信仰というのは、自分が祈って、願っていたことがかなえられていない。そこで信じることはやめた、ではなくて、その時、そのことについても神様に尋ねるのです。神様、あなたは私の祈りに応えてくださらないのですか?あなたはこのことについてどのようにお考えなのですか?あなたは何を私に語っておられるのですか?神様にどこまでも尋ねていく、聴いていく、神様と対話していく信仰です。これは自分ではなく、神様を主体とする信仰です。すぐには、答えはないかもしれない。自分の思い通りの答えではないかもしれない。でも、神様は愛である、真実な方である。そのことを信じて、すべてを受け止めていく信仰です。
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