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神の憐れみに押し出されて歩もう(マタイ12章1~8節) 【週報巻頭言】2024年6月2日

人の子は安息日の主なのである。(マタイ12章8節)

ここで「人の子」というのは、イエスさまご自身のことを指していると思います。イエスさまこそは、安息日の主なのです。イエスさまこそは安息日の意味を正しく教えてくださる方。そして、イエスさまこそは安息日に礼拝される方です。

主は、ホセア書の言葉を引用して語られました。「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」(マタイ12章7節・ホセア書6章6節の引用)。神さまが求めておられること、それは、憐れみ。あなたがたは、憐れみによって歩んでいるのか?あなたがたは、自分の信仰の対象である神さまを知らないで、いや知っているつもりで歩んでいるのではないか?だから、あなたがたは、人々を罪に定めたり、裁いたりしているのではないのか?そのような語りかけのように聴こえます。

神さまが求められるのは、憐れみと言いました。私たちは、神さまから、憐れみに生きることを求められているのです。けれども、私たちは、憐れみ、そのことを本当に知っているでしょうか?私たちがまず知るべきこと、それは自分自身が、神さまを知ることです。神さまの憐れみを知ることです。だから、主はこう言われたのです。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11章28節)。

私たちは、主の日に神さまを礼拝します。それは、私たちが、神さまのもとに行って、神さまの憐れみを受けていることを知り、喜び、感謝し、この憐れみに応えて生きていこうと決心して歩みだしていく。そういう出来事が起きる。それが礼拝なのではないでしょうか。

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