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少しのものに忠実であったから(マタイ25章14~30節) 【週報巻頭言】2026年11月1日

忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。(マタイ25章21、23節)

私たちは、自分に預けられているタラントン、賜物を用いていると思います。神さまのためにそれを用いて励んでいると思います。イエスさまは、五タラントン、二タラントンを預けた僕にこう言われました。「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」。この言葉の中で、注意したいことは「少しのものに忠実であったから」と言っていることです。「少しのもの」、口語訳では、「わずかなもの」と訳されていました。私たちが神さまのために、と考えて励んでいること、それは少しのもの、わずかなものと思えるようなことかもしれません。けれども、このたとえの中の主人はそのことを喜んだ、というのです。つまり、神さまは、私たちの少しと思える、わずかと思えるそのことを喜んでおられるのです。自分の働きは、人と比べて、大きいか、小さいか。自分の働きは、成功か、失敗か。神さまはそのことには関心がありません。神さまは、私たちが、たとえ失敗しても、うまくいかなくても、どんなに小さなことでも、神さまのために励んでいることを喜ばれるお方。イエスさまはそのことを弟子たちに伝えたかったのではないでしょうか。そして、今、イエスさまは、私たちにも語っておられるのです。「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」。自分ではそう思えないけれども、イエスさまは私たちのことを「忠実な良い僕」と呼んでくださっている。私たちはそのことを信じて、どんな小さなことでも、なかなかうまくいかないことでも、主のために、その思いをもって励んでいきたいと思います。

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