神さまの光によって歩もう(詩編36編1~13節) 【週報巻頭言】2026年6月21日
主よ、あなたの慈しみは天に/あなたの真実は大空に満ちている。
恵みの御業は神の山々のよう/あなたの裁きは大いなる深淵。主よ、あなたは人をも獣をも救われる。
神よ、慈しみはいかに貴いことか。あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ
あなたの家に滴る恵みに潤い/あなたの甘美な流れに渇きを癒す。
命の泉はあなたにあり/あなたの光に、わたしたちは光を見る。(詩編36編6~10節)
詩編36編5節までに書かれていたことは、私たち人間の現実、罪の現実と言える内容でした。使徒パウロは、私たち人間について、このように書いています(ローマ3章9~12節)。
では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。
次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない。」(ローマ3章9、10節)
「皆、罪の下にある」、「正しい者はいない。一人もいない」。神さまの前に立つ時、私たちはみんな罪の下にあるのです。誰一人、正しい者はいないのです。そういう私たちはどうしたらよいのでしょうか?詩編36編6節以下の言葉には、慈しみ、恵みという言葉が繰り返し書かれていました。神さまの慈しみ、神さまの恵み、それが、私たちを罪から救うのです。10節には、「命の泉はあなたにあり/あなたの光に、わたしたちは光を見る」とありました。この「あなたの光に、わたしたちは光を見る」ということについて、このような説明があります。「人間は神さまの光によって自分を正しく認識し、人生の目的を知ることができる」(『実用聖書注解』 いのちのことば社)。
私たちは、自分の人生を自分で判断し、選択していかなければなりません。しかし、私たちが、神さまの光によるなら、自分を正しく認識することができる、人生の目的を知ることができるのです。
あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。(詩編119編105節)
神さまの言葉は、私たちの人生の道を照らす光であるということが語られています。神さまの言葉に聴きながら、尋ねながら歩む時、神さまは私たちに最善の、最も良い判断を、選択を導いてくださるのではないでしょうか。
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