救い主はここにおられる(マタイ22章41~46節) 【週報巻頭言】2026年6月28日
ファリサイ派の人々が集まっていたとき、イエスはお尋ねになった。 「あなたたちはメシアのことをどう思うか。だれの子だろうか。」 彼らが、「ダビデの子です」と言うと、 イエスは言われた。「では、どうしてダビデは、霊を受けて、メシアを主と呼んでいるのだろうか。 『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい、/わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのであれば、どうしてメシアがダビデの子なのか。」(マタイ22章41~45節)
イエスさまがファリサイ派の人々に質問したのは、彼らの言葉じりをとらえるため、試すためではありませんでした。聖書の言葉を引用され、聖書に書かれているメシア、救い主とは誰か、そのことをお示しになるために、主は彼らに出会われ、お尋ねになったのです。救い主は、ダビデの子、ダビデの子孫としておいでになります。しかし、そのダビデが、「私の主」と言われた方、その救い主とは誰か?その方は、今、あなたがたの目の前にいる。ところが、彼らはそこにおられる方、イエスさまこそが、救い主であるということには気づかなかったのです。
一方、イエスさまの弟子のペトロ、そして、その他の弟子たちは、イエスさまが救い主であると信じることができました(マタイ16章15~17節)。彼らは、ファリサイ派の人々のように豊富な聖書の知識があったわけではありませんでした。しかし、今、ここにおられる方が救い主であると告白すること、信じることができたのです。それは、彼らの知恵や悟りによるのではなく、神さまが聖霊によって、示してくださったことでした。そして、今、私たちも、イエス・キリスト、この方こそが、救い主であると告白すること、信じることができるように、主は私たちに出会ってくださり、導いておられます。このことを心から感謝したいと思います。
この記事へのコメントはありません。